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何だか、先回りして、正体を言い当てられたような気が....(笑)
>廣松渉が遺した近代の超克論(⇒新東亜協同体論)
特に広松氏を意識していたという訳ではありません(それ程身の程知らずではありません)が、小生も又、あの「遺言のようなメッセージ」(小林敏明)に、大いに、我が意を得たりと思ったクチです。 だから、その後の左派からの厳しい批判の方に寧ろ強い違和感が有りました。 多くが紋切型で、抵抗線が切れ、急速に瓦解し、無力化していく左翼陣営のその理由をこそ逆に示唆しているようで、今度こそ本当の「擬制の終焉」なのだな、と思ったものです。
その少し前、”ベルリンの壁”が崩れて「冷戦」の終わりを実感した時、突如天井が開いて、世世の葛藤とか柵みの一切から解き放たれたような、飛びっきりの爽快感を抱いたものですが、ふと戦中派の言う”解放感”とはコレじゃなかったのか?と思いましてね。 無論当事者性というものが掛け離れているから一様には論じられないとしても、自分達の思念や行動を規定し、強制している全てが<虚構>であると感じた瞬間、ということでは同じと思ったのです。
だから、広松氏の所論は、小生にはスッポリ入って来ました。 半世紀の<虚構>を取り除くと、自分(達)の立ち位置が以前と左程変わっていない(寧ろ客観的条件では当時より余程良い)、逆に言えば、我々がたち返るべき問題(真のアポリア)は其処に在り、この半世紀の<虚構>の延長線上にはない、と小生には思えたのです。
実は最近、その事を改めて思い起こさせた問題がありまして、、、、