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(回答先: Re: ”死の跳躍” 不可能な「保守」 投稿者 影の闇 日時 2008 年 6 月 02 日 20:07:18)
影の闇さん、こんにちは。
他のスレッドは影の闇さんが“結び”を済まされていますので、こちらにレスをさせていただくことにしました。(因みに議論板27における、シリーズ「70年代が分かれば現在が分かる」は読後にアーカイブしてあります。)
>急速に<近代化>を進める日本を評して”死の跳躍”と言ったのは、明治の”お雇外国人”フォン・ベルツでしたが、やはり当たっていたのかもしれません。何故なら、”死の跳躍”こそが”死への憧憬”を引き起こしたのでしょうから。
準備不足による無謀な投企であることを指摘したもので、”死への憧憬”が介在していたとは考え難いのではないでしょうか。”死への憧憬”が誘因となっていたのならば、無謀であることの自覚を伴なっていなければならないと想われるのですが、逆説的には当時の日本(人)が自国の文化・伝統を明示的に見出してはいなかったことが浮き彫りになっていると考えます。
さて、当方の勝手な位置づけなのですが、ここは“雑談板”ということもあり、影の闇さんには様々な“試験紙”を投じてみたことをご容赦いただきたく思います。ただし、それ等は断じて“ダミー”ではなく、自身が所持し実検して来たものであることをお断りしておきます。無論、“議論”ではこの限りではありませんが、こうした掲示板では限界のあることを認識していますので、そこへの突入は意識的に踏み止まっているような次第です。
「コミュニケーション論」にたいする拘りや「世代分析」を行なうのは今では自身の習い性と化していますが、“雑談”の円滑化には有効な一面を有していると思っています。家庭の事情もあり一年で頓挫せざるを得なかった修士課程のテーマは宗教をパラメータとするコミュニケーションの社会心理学的考察でしたが、実業界に入ってしまいましたので、未だに中途半端のまま、過去を引き摺っている始末です。けれども、戦時中の幻影を垣間見たために戦後との摺り合わせに苦闘した人達が影の闇さん達に伝えたのは何だったのでしょうか、“小生”の呼称に止まらず、非常に興味のある事柄ではあります。
それから、本より影の闇さんが解説されている江藤淳が捉えていたコンテクストに関して然程異論はありません。この阿修羅板上でも繰り返していますが、寧ろ私の関心事は江藤淳に関することや明治期の人達の心象風景にそうしたコンテクストを生成させた原因の方に移っています。何故なら、原因の解明が新たな駆動力の起点もしくは変革への動機性と密接に関係し、そこに再構成の是非論や本義論に纏わる事由が潜んでいると想われるからです。
例えば日本国憲法についても、主権在民思想の権化とも目される“制限規範性”の賦活に関して大いに試行すべしとし、それに日本国民がなかなか踏み出そうとしないことへの苛立ちを隠さないのが件の松浦氏でしょう。何故、そうできないのか、それが押しつけられたものだからと云ったことに原因を求められるはずもなく、先ずは憲法意識を耕すところから始めなければならないのかも知れません。
ところで、米国による占領状態にある日本が本気でそれに抗おうとしないのは、影の闇さんは何故だと思われますか。もし、それが風土病によるものならばやはり土壌の改善から始めなければならないでしょう。在来の土壌を入れることで可能かどうか、それとも他の土壌を入れるべきか、吟味しつつ様々な試行を繰り返していくべきですし、連合主義へと繋がるアソシエーション構築も選択肢の一つであると考えています。
しかしながら、“パンとサーカス”と形容されるような米国を発地とする愚民化という病巣は国民の中に深く伝播していて、最早手の打ちようがない事態になっているのかも知れません。おそらく、江藤淳は自分の病状を二重写しにするかのようにそれを自覚していたのではないでしょうか。それ故、挫折による自裁というよりも、覚悟の上での、謂うなれば心中だったのではないか、そのようにも想われるのです。
Auf Wiedersehen.