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(回答先: Re:Re: ”死の跳躍” 不可能な「保守」 投稿者 彼岸楼 日時 2008 年 6 月 03 日 07:47:29)
>準備不足による無謀な投企であることを指摘したもので、”死への憧憬”が介在していたとは考え難い
正確に読んで下さい。 介在したとは言ってない、”死の跳躍”こそが”死への憧憬”を引き起こしたと言ってるんです。
それにしても「準備不足」と読み取るとは、やはり、モダニストなんですねぇ (笑)
「無謀な投企」と見ているのは、相手(西欧)や己れ(日本)のそれぞれの成り立ちや在り様を全く無視し、文化を丸で機械同然に見做して、丸ごとそれを移設しようとする(それが可能とする)態度に対してであり、準備不足ということとは違うでしょう。 それに、準備不足というなら、何をもって準備OKとなるのか?当の西欧を除いて、準備を整えて近代化していった例なんて、果たして在るのか?ってなツッコミが次々に湧いて来ます。
>当時の日本(人)が自国の文化・伝統を明示的に見出してはいなかったことが浮き彫りになっている
そうでしょうか? 「脱亜入欧」、それはベルツも書いている通り脱夷入華、即ち東の果ての野蛮人から脱し、文明世界に参入したいという事であり、2度目ではあっても、それまでの文化を無意味・無価値なものと全て打っ棄って、ゼロから始めるというのですから、「自国の文化・伝統を明示的に」捨て去ってるんじゃないでしょうか?
それにね、そう言ってる彼岸楼さん御自身が「自立した個人」なる虚妄を信じ込んでる、そのこと自体「自国の文化・伝統を明示的に見出してはいなかった」か又は捨て去ってる、としか思えないのですが。
つまり、100年前も今も、その意味で日本人のスタンスは変わっていない、と思いますね。