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(回答先: Re:Re: ”死の跳躍” 不可能な「保守」 投稿者 彼岸楼 日時 2008 年 6 月 03 日 07:47:29)
>戦時中の幻影を垣間見たために戦後との摺り合わせに苦闘した人達が影の闇さん達に伝えたのは何だったのでしょうか
小生の家族は満州帰りで、しかも例外的に大家族でしてね。
他人でありながら家族、家族でありながら他人、日本(人)なのに何処か違う風や薫りが漂っているーそんな微妙な”あわい”といったものを物心付く前から、皮膚感覚で感じ取っていた
ーなんて言えばナットクしてもらえるでしょうか?(笑)
まぁ、彼岸楼さんの、小生への最初の問い掛けと最後の問い掛け、そうして最大の問い掛けに多少応えて言うならー
近代史における満州の意味について、近代史のみならず我々の現在についても、その根底から書き換える程のインパクトを持った構想を考えております。
近年、「1940年体制」ということで、主に経済(学)的な視点から、「満州」が戦後日本に及ぼした影響が極めて大きかった事が知られるようになりましたが、それ以外については殆どっていってよい程解明されていません。 「経済」がそれ程大きかったのなら、それ以外についても、同じ様に考えてみるべきなのに。 無論それには理由があります。 戦後、左右の「脱亜入欧」派によって、「アジア」が徹底的に封印され(それはアメリカのアジア戦略と見事に符合する)、タブーになったからです。
冷戦が終わって、最早失効したという観点に立って、ようやく一部が解かれ、その一端が垣間見られたわけですが、その全体像についてはなお端緒についたばかり、と言うべきでしょう。
例えば、最近の研究で、陸軍の満州に対抗して、海軍は海南島を「海の満州国」に、と目論んでいたらしく、無謀な対米英戦争に突入していったのにもその事が関係しているのでは?との説が出ています。
陸軍と海軍の相克、「満州国」のプランナーである石原莞爾の知恵袋とも黒子とも言える位置に居るのが朝鮮人だったり、他方海軍と”世界史の哲学”「京都学派」の関係等、政治は元より、こういった事柄についての精神史的考察がどうしても必要になってくるのです。
果たして、近代日本にとって、又日本人にとって「満州国」とは一体何だったのか?
関係者に話を聞いたり、本で読んだりと、色々調べて、おぼろげながら、その尻尾を捕まえる処まで来たような気がしていますが、予感として言えば、我々が「アメリカ」を克服するまでは「満州」の意味は分からないのかも?と思えます。
しかしながら、ひょっとしたら我々の現在は「満州」の挫折が大きく影響しているのかも知れない、と考えると、「満州国」の復権がその手掛かりになるのでは?と考えてるところです。
そうして更に言えば、これもまた我が家族の物語であるのかも知れません。