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(回答先: Re: 取り敢えずの結びーそれは満州 投稿者 影の闇 日時 2008 年 6 月 08 日 20:32:40)
影の闇さん、こんにちは。
当方も、これが今回の最後のレスにさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
私自身、江藤淳に私淑した訳ではなく、江藤淳の死が“公”なる死であったのか否か、さらにそれをジャーナリスティックに論じる立場にはありません。にも拘わらず思いの外踏み込んでしまった感が否めません。どうやら、江藤淳に関してはここまでが限度でありましょう。
軍国主義教育の影響が比較的に希薄で戦争の悲惨に遭遇し、且つ反安保闘争に参じたことのある世代(現68歳位〜72歳位)はその子等(現41歳位〜45歳位)に何を伝えたのでしょうか。団塊世代を言挙げすると同時にこの点についても考察して欲しく思いますし、世代間の架橋はそれ以後のことになるかも知れません。その上で影の闇さんはどうしたいのでしょうか、あるいはどうなされるお積りなのでしょうか。勿論、世代間横断的にもそう問われているとは思っています。
何故“死の飛躍”が“死への憧憬”を齎すことになったのか、そもそも日本人に“死への憧憬”を産するような素地があったのかどうか、この点に関しては推測がつきかねるものがあります。ただし、以前、『東洋的(森林の思考)ニヒリズムの源泉は喪失感⇒遍在する霊にたいする畏れ、西洋的(荒野の思考)ニヒリズムの源泉は無力感⇒絶対者にたいする帰依』と、そんな思考実験を試みた記憶がありますが、今では凍結したままの項目の一つになっています。
父方の祖母の実家は満州からの引揚者で構成される開拓民でした。男女の別なく皆が実に大らかで、血縁も何も関係なく、何時でも歓待してくれて、第一に非常に気前がよかったことをよく憶えています。
4年程前に阿修羅の論客のあっしら氏も触れられていましたが、私は『新日本の進路』(石原莞爾)をメルクマールとして一定の評価をしています。しかしながら、その実現化のためにもドライビング・フォースの源泉をどこに(どの世代に)求めるべきかが枢要なテーマであると考えています。
Auf Wiedersehen.
<参考URL(ROMの皆様方へ)>
石原莞爾 新日本の進路 石原莞爾將軍の遺書
http://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1156_23860.html