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(回答先: Re: ”死の跳躍” 不可能な「保守」 投稿者 影の闇 日時 2008 年 6 月 02 日 20:07:18)
Ddogです。唯の読書人にすぎない私を保守思想の代表と並べての評価を頂き、光栄です。
彼岸楼さんは、如往さんでしたか。
戦後の保守思想として、親米保守主義は誕生しました。昭和天皇を象徴天皇とした、現憲法に沿った、冷戦構造の西側国家の一員として、共産主義の脅威より、国体を護持する合理的な思想であったと思います。
冷戦構造の崩壊とともに、戦後保守思想も新陳代謝の過程において、反米保守と親米保守とに分裂と融合を繰り返しているのが現状である。腐れ左翼の立場からいえば、ソ連邦の崩壊とともに自信の思想的根幹であった社会主義、共産主義が瓦解してしまったように、保守主義も瓦解して欲しい願望だけはあるようです。
私の場合、幕末から明治期にかけての歴史観は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」〜「翔ぶが如く」〜「坂の上の雲」により形成されてしまっています。どうしても、幕末から明治期を俯瞰する上で、司馬史観のフィルターを通して江藤氏の作品を評価してしまいますが、最晩年に残した「南洲残影」( 文藝春秋)1998年は、帝国陸軍の本質にせまる、江藤氏の慧眼があったと思います。
しかしながら、西郷隆盛の死と、三島由紀夫の死、そして江藤淳の死はそれぞれ殉死ではあったが、それぞれ違う対象に殉死したと感じています。誰一人天皇陛下の御為に自刃したものではありません。南洲公は特権を剥奪された旧武士階級と、薩摩藩島津家のルサンチマンを鎮護する為に、英雄として殉死した。その結果、真の近代日本の誕生したものである。
三島に対する私の考え方は揺れている。保守主義が、親米保守(現実主義)と反米保守(理想主義)の溝が深まるにつれ、三島が夢見た然るべき日本の国体とは、如何なるものであったのか?米国の属国である日本の現状を三島が憂えたことは十分共感できる問題であった。その側面で三島は評価されるのであるが、日本が置かれた地政学的立場や、経済政治構造を踏まえた上で、三島は真剣に国を憂いていたのか私は疑問に思っています。自衛隊に決起を促すより、日本国民に向かい、真の独立国とは何か?米国より脱却する覚悟があるならば、憲法を改正し、核武装を行う自覚・覚悟ができるまで、その作品によって日本国民を先導すべきであった。そして、今日まで命を永らえていたならば、私も、消極的な親米保守主義の看板を掲げることなく、反米保守主義者でいたかもしれない。結果として、彼の方法論が空想の域を出ることは無かった。三島は、反米保守主義ではあるが、尊皇攘夷主義者でもない。三島は昭和天皇より、226事件の青年将校達へ、強い憧憬を持っていた。国士であるはずの、青年将校達が持つ彼らの無謀な空想主義を昭和天皇はその英邁な現実主義で葬り去ってしまった。三島の一連の昭和天皇に対し不敬な発言と「仮面の告白」の三島像すべてを勘案し考察する限りにおいて、三島の死は自己愛に殉じたものであると評価したい。
儒教論語と大アジア主義を語るのであれば、道徳教育を受けた江戸期の武士階層と明治〜戦前の高等教育を受けた知識人軍人階級であるならばその共通規範は論語であり、大アジア主義者達は、皆論語の影響をつよく受けていることも事実である。ところが論語の本場である中国人が論語の理想に程遠い「無規範な民族」であることを見落としていた。そのことが、悲劇のはじまりで、第二次大戦の遠因でもあったと思う。武士道の聖書、葉隠れの主題である、理想的な死こそは、武士道の根幹を成す目標でもあった。
江戸期以前の武士は保守思想ではなくリアリストであったかもしれないが、日本の保守思想の根源を求めるのであるならば、太平記の楠正成、貞永式目の北条泰時まで遡る必要があるだろう。伝統的思想の基盤の上に論語が何世代にも渡って武士階級を教育していった結果が、武士道であり、保守思想の根源であった。
尚、近代保守思想の根源に留めるなら、尊皇攘夷運動こそそのその始原である。
幼少期に母親を亡くした江藤淳の精神思想には武士道とは別に、常に自分を満たしてくれる愛を求め続けたのではないか?と感じさせられるものがあります。妻の死と自殺の因果関係は疑うべきも無い。「南洲残影」は、鎮台軍と、薩摩武士団の憧憬と憎悪が並立するその帝国陸軍の生い立ちと、226事件の底流に流れる滅びの美学、死への憧憬を三島の死に見つけたものであるが、江藤氏も死に対して憧憬があったのかもしれないが、江藤氏は愛に殉じたものである。江藤氏の保守思想の破綻との説にはまったく同意しかねる。
今週、文春文庫「山下奉文」(やましたともゆき)昭和の悲劇:福田和也(2008年4月)
を読んだ。山下奉文といえばマレーの虎「イエスorノー」エリート陸大卒であるにもかかわらず、東条英機らの統制派に組せず自らの出身母体である貧農出身の青年将校に同情し皇道派に担ぎあげられた経緯、第一次大戦を観軍武官として欧州で過ごし、欧米の力量を知りすぎ、最後まで開戦反対派でもあった。この山下像は、司馬史観とは別な視点、また山下将軍について様々な角度から検証された本であった。
所謂シンガポールの華僑虐殺事件を命じたその背景、悪役として演じなくなくてはならなかった憲兵達の苦悩を、改めて知りました。アジアの団結に程遠い状態で英米を相手に戦争突入してしまった日本。薄氷を踏む戦いに勝利し、大英帝国の終焉に立ち会わされ、晴れやかな気持ちとは裏腹に非力な日本陸軍を引き入らざるを得なかった山下将軍。フィリピンで絶望的な状況で少しでも将兵の消耗を減らす為の戦術を取らなくてはならない絶望。我々死とは程遠い環境で、戦時中の善悪を弾劾できるものではない。そして戦犯として、自刃せず、作業服で処刑された山下将軍の死も、「南洲残影」に見る、陸軍大将西郷隆盛の死と繋がるものを感じました。なかなかの力作ではありました。
話がだいぶ逸れたので、元にもどすが、ここからは主に、影の闇殿を対象として書きます。
山下将軍は終始組織の人であった為、よく、226での山下将軍を非難する本では、政治的保身をしたと非難する文書が多い。山下将軍なら保身という論理は成り立ちますが、Ddogは保身であるとか勝手に書いているが、いったい何に対して保身しているというのだ!
私が使う日本語では、保身とは、「自分の地位・名誉・安全などを守ること。」ですが、まったく第三者にはその意味が伝わりません。一読書人で、特に政党など政治的組織にも属さず、物書きで喰っているわけでもない私は、いったい何に対して保身するのでしょう?日本語として間違って使ってはいませんか?少なくとも私には理解できない。
私のスレッドに異論を唱え反論をしろとの書き込みに反論したのだが、反論がまだ無い。
私は、影の闇殿を東京裁判史観より覚醒していない腐れ左翼の成れの果てであることを喝破した。そのことに対して、論理的反論もせず、こそこそと影で悪口を言っている影の闇殿は非常に見苦しい。見苦しさに反吐がでる。
さんざん同じ板に書き込んで、気がついているシグナルを送っているのに・・・気がついてないとでも思っているみたいだ。
親米保守主義者も進歩的文化人ぶった腐れ左翼も影の闇殿も、東京裁判史観を脱却できない同じ穴の狢である。インテリジェンス能力の低下が著しいCIAの洗脳下にある。反米保守主義者も反米、反グローバリズム主義者も、影の闇殿も、その言説を読む限り、実は中国やEUロシアのインテリジェンスの影響を無自覚のまま飲み込み、拡大再生産しているようにも見える。
保守主義には武士道のDNAが取り込まれている為、保守主義者の死を、思想的破綻と決め付けるのはかなり短絡的な思考である。