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(回答先: そうしたある種の“諦観”は携えているつもりです。 投稿者 彼岸楼 日時 2008 年 5 月 26 日 22:16:20)
D.ハーディ→D.ハーヴェイ
>同じ(政治的)力学が働く」というのが今一判然として来ません
例えば、日本において、社会党や共産党が果たした「役割」を見ればいいのですがね.
自立し、自発的に行動する個人、及びそのような個人によって出来た社会、という点においては<新自由主義>と同じ人間観・社会観に立つ。 そうであるならば、一見対立しているように見せかけても、(そのような社会を実現するという)共通の目的に奉仕している −とみるべきでしょう。
>可能態という意味を含みますが、“自立しつつある個人”が成立する余地はあると想って
逆に、何故「自立しつつある個人」が先見的な価値とされてるのか?
寧ろ、実態を見れば、自立している「かのような」でしょう。
宇宙で独り生まれ、育ち、行動出来る、というならともかく。
「人間」という文字にもあるように、我々の意識とか在り様はヒトとヒトの間柄に在るのではないでしょうか?