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(回答先: ご明察 彼岸楼さんへ 投稿者 影の闇 日時 2008 年 5 月 20 日 14:30:39)
その丁度真ん中の、言うならばターニングポイントにあった「連合赤軍事件」について、当時近い立場に居た笠井潔氏は、世界の多くの国で”若者の反乱”があった中で、何故、旧枢軸国(日独伊)にだけ赤軍を名乗る過激派が現れ、何れの場合も同じ様に「陰惨で自滅的な闘争」を繰り広げたのか?と問い、親世代が自己保身に走るよって子供達が負わされた精神的な負債(トラウマ)にその因を求めています。
当時のベトナム戦争というフィルターを通して見れば、それは更にハッキリとなる。
親達を屈服させたアメリカの<正義>が、ベトナム戦争の過程を通じて、紛れも無い<不正義>であることが鮮明になるーその時、親達は<不正義>に屈服した恥ずべき存在となるのです。
NATOや日米安保でアメリカに組み敷かれた日独伊の政権及びその体制は、実質的にはアメリカの傀儡政権、従ってナチスドイツ制圧下の仏ヴィシー政権と何ら変わらないように映ったはず。
だから、彼等の体制に対する破壊活動は、失った<正義>の回復であると同時に、自分達が受けたトラウマを解消する、ということでもあった訳です。 そうだとすると、彼等の掲げた左翼イデオロギーは、その為の<名分>というでもあったことになります。
ファッションとは優れて思想なのだ、と言ったのは当時の代表的なイデオローグ津村喬ですが、左翼イデオロギーとは、かかるトラウマ(傷痕)を覆い隠す、包帯のような衣装であったのかも知れないー少なくともそのように機能していたーと思うわけです。
話は脇道に逸れますが、同世代のメンタリティに潜むそうした「問題」を鋭く見抜いていたのがつかこうへいだったのでしょう。 あの戦争と親と子を結び付けた作品のタイトルがそのものズバリ「戦争で死ねなかったお父さんのために」。 所詮それは「国=民の物語」に過ぎないではないかー挑発的な眼差しは、一貫して<非国民>を強いられた在日二世であったからこそ、その真のアポリアが見えていたように思えます。
「旧枢軸国」の中で、何故日本だけが凄惨な「仲間殺し」に至ったのか?
これは見方を替えて、現在、ECという国家を超えた枠組みの中でリーダーシップを発揮している同世代に比して、日本においては有力な政治的リーダーシップは発揮出来てない、のみならず年間3万人を上回る自殺者の多くを輩出している、という彼我の差は何処から来ているのか?という問題にも繋がるように思えます。
そうして、この問題を突き詰めると、結局は、彼我の立ち位置の違いという処に落ち着くように思えるのです。
>日本は欧米を無批判に信じようとする悪習を脱却して、先ずはアジア諸国のことを信頼し協力関係
>を深めていくことが、将来的にも身の安全のためにも本当は理に適っているのではないか
理性的に考えたらそれしかないと思うのですが、問題は、では何故そのようにはならないのか?という事ですね。 ”寄らば大樹の陰”以外に探すとしたら、やはり、明治以来の「脱亜入欧」路線を大枠で否定する事が未だ出来ないからじゃないか? 何せお札という信用度が一番高いものの頂点に持って来るのが福沢諭吉ですから。(笑) 「脱亜入欧」が戦後「対米一辺倒」になり、その結果として、アメリカしか目に入らないし、アメリカを通してしか世界が見えないー言うならば「脱亜入欧」の完成態としての”視野狭窄”。
この問題を煎じ詰めると、詰る所それは、「国民国家」のイデオローグ、福沢諭吉の「文明論」=「開化思想」になるのでしょうが、文字通り浅学非才の身、馬脚を現すので、これ以上の言及は止しておきます。(笑)