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(回答先: Re: 「連合赤軍事件」について 投稿者 影の闇 日時 2008 年 5 月 23 日 17:17:17)
影の闇さん、レスをありがとうございます。
>同じ事を言っているのですよ。
>弱い父、或いは<父>の不在=恥ずべき存在として意識下に<抑圧>していた、ということ。
私自身のことを申し上げれば、<父>のことは大部分スルーしていたのは確かでしょう。何故それが可能だったかと云うと、職人の親方だった祖父に多くを学ぶことができたからです。しかし、シベリアから復員してその脚で共産党のドアをノックするような父を恥ずべき存在であると思ったことは一度たりともありません。働き者の父は私が大学を卒業するのを待っていたかのように、その一年後に他界しました。
>文芸の世界で一目瞭然だけど、戦前日本の代表的名作である「暗夜行路」を見ても分るように、もし<父>が権威を持っていたら、当然、父との対決がメインになるのだろうけど、戦後の風景の定着を意味する”第三の新人派”登場以降、弱い父(弱い夫)しか出て来ない。
必ずしも私は父権の復活が戦後60余年を総括するためのモメントになるとは考えていません。それは戦前の父権の実相とその有用性について大いに疑問があるからです。それよりも、職人を差配する親方である以前に、祖父が如何に勉強家であり努力家であったか、そのことの方が私にとってはより重要な事柄であり、それは父権の所在によってのみ醸し出されるものではないと考えます。
>その世代であるとのことなので言わせてもらえば、その子はではどうしたか?経済軍隊の企業戦士として世に出て行った、「弱い父」以上に、「不在の父」となって。
子等の世代のために少なくとも彼等の経済的自立に資するべき社会状況を準備することができたかどうか、それは否と謂わざるを得ません。我々がやったこと、或いは辛うじて為し得たことはより高い学歴を身につけさせるために子供達を受験戦争に駆り立てることでした。しかし、その先にあったものはバブルが崩壊した閉塞した社会状況だったことは周知の如くですが、自身の境遇は別にしても、今後も我々団塊の世代が受けとめていかなければならない課題であると思っています。
Auf Wiedersehen.