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(回答先: Re: 「連合赤軍事件」について 投稿者 影の闇 日時 2008 年 5 月 20 日 14:32:56)
影の闇さん、これが本日の最後のレスになります。
>その丁度真ん中の、言うならばターニングポイントにあった「連合赤軍事件」について、当時近い立場に居た笠井潔氏は、世界の多くの国で”若者の反乱”があった中で、何故、旧枢軸国(日独伊)にだけ赤軍を名乗る過激派が現れ、何れの場合も同じ様に「陰惨で自滅的な闘争」を繰り広げたのか?と問い、親世代が自己保身に走るよって子供達が負わされた精神的な負債(トラウマ)にその因を求めています。
後何日間の違いで、京浜安保共闘のドアをノックしなかった人間の一人としては、多くの親達が子供にとって乗り越えるべき対象となるような厳然たる存在ではなかったとの印象を持っています。日独伊のどの国においても実際に戦って負けることの悲惨さを味わった人達ほど、戦後長らく無気力な感覚に苛まれ続け、子供の心理状態を窺う余裕などはなかったのではないでしょうか。
>当時のベトナム戦争というフィルターを通して見れば、それは更にハッキリとなる。親達を屈服させたアメリカの<正義>が、ベトナム戦争の過程を通じて、紛れも無い<不正義>であることが鮮明になるーその時、親達は<不正義>に屈服した恥ずべき存在となるのです。
“キャラメル・ママ”が象徴するように、責めるのには親達は余りに弱弱しかったのです。だから、親のこととは無関係に自らの問題意識に導かれて試行の“状況(場)”を求めて行ったのであり、つまり「連合赤軍事件」は各々が自分なりに世界を受けとめはたらきかえしたことの顛末です。
>ファッションとは優れて思想なのだ、と言ったのは当時の代表的なイデオローグ津村喬ですが、左翼イデオロギーとは、かかるトラウマ(傷痕)を覆い隠す、包帯のような衣装であったのかも知れないー少なくともそのように機能していたーと思うわけです。
マルクス主義的思考様式を擬態していたことは否定しませんが、全共闘世代に左翼イデオロギーがどの程度染み着いていたかは疑問です。60年安保闘争の生き残りの闘士や民青の幹部達はそうだったかも知れません。
>理性的に考えたらそれしかないと思うのですが、問題は、では何故そのようにはならないのか?という事ですね。 ”寄らば大樹の陰”以外に探すとしたら、やはり、明治以来の「脱亜入欧」路線を大枠で否定する事が未だ出来ないからじゃないか? 何せお札という信用度が一番高いものの頂点に持って来るのが福沢諭吉ですから。(笑) 「脱亜入欧」が戦後「対米一辺倒」になり、その結果として、アメリカしか目に入らないし、アメリカを通して
>この問題を煎じ詰めると、詰る所それは、「国民国家」のイデオローグ、福沢諭吉の「文明論」=「開化思想」になるのでしょうが、文字通り浅学非才の身、馬脚を現すので、これ以上の言及は止しておきます。(笑)
文化的分野での西洋との摺り合わせに腐心したのが夏目漱石であり、西洋文明を取り入れようと執着したのが福沢諭吉と謂えるのではないでしょうか。おそらく両者に共通するのは文化的に呑み込まれてしまうことや文明的に支配されてしまうことにたいする危機感であったと想われます。
この平成期までそれを引き摺っているのが、アジア11板で影の闇さんが最近遣り取りをされているDdog氏です。Ddog氏とは以前私が「如往」のハンドネームのときに天皇制と日本教をテーマに幾度となく遣り取りをしました。やや想い込みが強いのが難点ですが、その理論や誠意には見るべきものがあり、誠実な保守思想の持ち主が国家や日米関係について真摯に論理的に考え抜いて辿り着いた境地の典型であると思っています。
話が此処彼処に飛び散り、しかも止め処もないものになってしまい、申し訳ありませんでした。
Auf Wiedersehen.