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(回答先: ご明察 彼岸楼さんへ 投稿者 影の闇 日時 2008 年 5 月 20 日 14:30:39)
影の闇さん、こんにちは、レスをありがとうございます。
幾度かワヤクチャさんと交信したのですが、根幹部分での相互理解には至らず、暫時レスするのを控えようかと思っていた矢先でした。
おそらく、レスの脈絡が多少前後したり重複したりするかも知れませんが、どうかご海容のほどをよろしくお願いいたします。
>特に広松氏を意識していたという訳ではありません(それ程身の程知らずではありません)が、小生も又、あの「遺言のようなメッセージ」(小林敏明)に、大いに、我が意を得たりと思ったクチです。 だから、その後の左派からの厳しい批判の方に寧ろ強い違和感が有りました。 多くが紋切型で、抵抗線が切れ、急速に瓦解し、無力化していく左翼陣営のその理由をこそ逆に示唆しているようで、今度こそ本当の「擬制の終焉」なのだな、と思ったものです。
確かに、否、若しやするととかく韓国ときけば侮蔑し、中国ときけば敵愾心を燃やすような右派の視野狭窄な所業を嘲笑することが不可能なほどに、左翼陣営がそれ等の国々やアジア諸国に関心があり、その国情を本当に理解しているかというと甚だ怪しいものだと思います。その点ではアジアにたいする日本の左派の見方や不見識は戦前・戦後を通じて何も変化がなかったと謂えるのかも知れません。
>その少し前、”ベルリンの壁”が崩れて「冷戦」の終わりを実感した時、突如天井が開いて、世世の葛藤とか柵みの一切から解き放たれたような、飛びっきりの爽快感を抱いたものですが、ふと戦中派の言う”解放感”とはコレじゃなかったのか?と思いましてね。 無論当事者性というものが掛け離れているから一様には論じられないとしても、自分達の思念や行動を規定し、強制している全てが<虚構>であると感じた瞬間、ということでは同じと思ったのです。
その”解放感”は他者から与えられたものであり、それは後に問題の解法にあたっての独自性を阻害することにも繋がり、さらには負の遺産として戦後派に引き継がれることになった、そんな見方もできると思っています。
>だから、広松氏の所論は、小生にはスッポリ入って来ました。半世紀の<虚構>を取り除くと、自分(達)の立ち位置が以前と左程変わっていない(寧ろ客観的条件では当時より余程良い)、逆に言えば、我々がたち返るべき問題(真のアポリア)は其処に在り、この半世紀の<虚構>の延長線上にはない、と小生には思えたのです。
廣松渉の近代の超克論(⇒新東亜協同体論)はその一つの“解”ではないでしょうか。私が勝手に“協同体”としたのは、最大限諸国民の自決権が尊重される、例えば連合体への進展を願うからに外なりません。
Auf Wiedersehen.