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Re: 大川周明の今日的意味、或いは私見「新東亜共同体論」について
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投稿者 影の闇 日時 2008 年 5 月 20 日 14:35:17: HiXvZf/FmwPNU
 

(回答先: ご明察  彼岸楼さんへ 投稿者 影の闇 日時 2008 年 5 月 20 日 14:30:39)

 ただ最近、この問題に関して、福沢諭吉の天敵だった儒教にその手掛かりがあるかも?と想わせる極めて興味深い知見に接したもので、土素人(!)なりに考えてみたいと思ってる事が在ります。


米英の言う「儒教・イスラムコネクション」というのを小生専ら政治的にのみ捉えていたのですが、「近世儒学を復権させたのはイスラムである」とするイスラム学の泰斗板垣雄三氏の所説に接して、文字通り目を開かれる思いがしたのです。

徳川時代の体制イデオロギーである朱子学(宋学)が、言うならば儒教とイスラムのアマルガム(合金)であったとするなら、我々は既に儒教を通してイスラムを受容していた、ということになります。

とすれば、「江戸近世」は、中世から近代への過渡とすることも、西欧の歴史観(進歩・発展史観)を当て嵌めた「封建時代」と看做すことも誤りなのかも知れません。 また他方、それは「明治維新」に対する従来の見方の変更を迫るー例えば現在に至るアジア派と入欧派の対立は、特殊日本化された「文明の衝突」、或いはその先取りだったのかも?ーとさえ思えて来ます。
 
少なくとも、それまでの「イスラム的変容」から「西欧(キリスト教)的変容」に切り替えたのが、統一した、強力な中央集権体制を創るという、同時代の潮流にいち早く敏感に対応したものであれば、今日迄の様々な問題の噴出によって、振り出しに戻って考えてみるべき時期に来ている、と思うのです。

そしてそういう立場に立ってみれば、儒教は、過去の遺物と死蔵され、忘れ去られるものでは断じて無く、東アジアの共通の遺産として、何度でも掘り起こしてみるべき無尽のエネルギー源に思えてくるのです。

儒教の読み込み乃至読み替え、若しくは創造的誤読の先に「新東亜協同体論」が見えて来るなら、と独り勝手に妄想しているところなのです。

大言壮語が過ぎました。             不尽

未覚池塘春草夢
 

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