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(回答先: Re: 大川周明の今日的意味、或いは私見「新東亜共同体論」について 投稿者 影の闇 日時 2008 年 5 月 20 日 14:35:17)
問題解析は問題の正確な把握に資するものであり、断じて蔑ろにはできません。しかし、同時に問題解決のための当事者性(当事者意識&当事者能力)の形成を図っていかねばならないでしょう。さらに、その時は切迫して来ているように感じられる昨今です。
>少なくとも、それまでの「イスラム的変容」から「西欧(キリスト教)的変容」に切り替えたのが、統一した、強力な中央集権体制を創るという、同時代の潮流にいち早く敏感に対応したものであれば、今日迄の様々な問題の噴出によって、振り出しに戻って考えてみるべき時期に来ている、と思うのです。
儒教的倫理観が駆動力を構成する人々の当事者意識の涵養に如何に寄与するのか、自身の不勉強も祟って想像がつきかねます。けれども、社会変革の組織的継続的な駆動力の形成のためにはやはり倫理観は重要ですし、例えば出エジブトをやり遂げるための“内部規律”としてモーゼの「十戒」は大きな意味を持っていたと考えています。
>そしてそういう立場に立ってみれば、儒教は、過去の遺物と死蔵され、忘れ去られるものでは断じて無く、東アジアの共通の遺産として、何度でも掘り起こしてみるべき無尽のエネルギー源に思えてくるのです。
>儒教の読み込み乃至読み替え、若しくは創造的誤読の先に「新東亜協同体論」が見えて来るなら、と独り勝手に妄想しているところなのです。
少し話が逸れますが、鈴木秀夫著『森林の思考・砂漠の思考』(NHKブックス 1978)は、風土の構造解析から思想の形成過程と特徴を考察したものですが、東洋的思考と西洋的思考の結節点乃至は融合点について考える場合に参考になるかも知れません。
それはともかく、現代中国(中共)において社会主義思想と中華思想とがどのように結節、或は融合しているのか、さらに、中華思想の根幹を成すものが儒教であるならば、「新東亜協同体論」はそれとの関係性を詳らかにしていかなければならないでしょう。
Auf Wiedersehen.