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憲法改正の論議が進められている。
Kは「今、憲法は改正してしまうべき」と強く主張する。
なぜならば、今を逃すと「憲法9条の理念が守れなくなる」と考えるからである。
どのような優秀な法規にも「経年による制度(精度)疲労」は起こる。
現在の憲法は「古い」というのは確かである。
それは、いずれは「どこかで手直しが必要」と云うことである。
この点は「先延ばし」しても不利になるだけと云うことである。
戦争の悲惨さを体験した世代の人は年々少なくなっている。
つまり、イメージだけで戦争を知るだけの人の割合は「年々増加している」と云うことである。
本来は「戦争直後の戦争の悲惨さを実際に体験し、身を持って戦争をなくすには、どのような憲法が一番良いのか?」を真剣に考えた上で作られた「憲法の理念」が「一番正解に近い」のが当然である。
「戦争未体験者がイメージで『戦争関係の憲法』を語る」のは、間違った判断をする比率が飛躍的に高くなる。
特に「実際に戦争になった時に、シェルターの中で命令をするだけ」の確率が高い輩には「戦争を語る資格が無い」と言えるのだろう。
仮に戦争世代がいなくなった時に「憲法を改正する事になると『憲法9条の理念』すら守れなくなる」確率は高いだろう。
つまり、先延ばしすればするほど、「護憲派には不利」なのである。
先日スイスで「難民を受け入れる関係の法律が大幅に厳しくなった」そうである。
昨年も同様の法律が提案されたが、ギリギリで否決されたのだが、今年は「圧倒的な大差で可決、予想では否定多数と予想されたのジュネーブですら、法案賛成が多数だった」とラジオニュースで聞いた。
「困っている他人に冷たく」「自分本位に考える」という人の比率は増えてきている。
それが、アメリカ型合理主義的思考法の流れだと思うが、残念ながら、この流れは止まらないだろう。
その中で「経年制度疲労」と「純粋な国産製憲法ではない」という「2点の理屈がある限りは、いずれは憲法改正は行われる」だろう。
ならば、今、受け入れ「護憲勢力の力を結集し、決着を付けておく」しか方法論はないのだろうし、それがベターなのだろうと思う。
国民投票法案は「憲法改正限定」と云うことではなく、重要法案で「民意を問うとき」にも使えるようにした上で速やかに通過させ、「憲法9条の理念」の護憲にのみ「全精力を結集して守る」という選択が正しいのだろうと思う。