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(回答先: 憲法を守る為に 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 10 月 07 日 22:55:22)
ワヤクチャさん ご意見には感謝いたします。
この感謝は形式的社交礼辞ではなく、K個人では気づかない「視点」に気づかせてくれるという部分に対しての感謝です。
さて
>【私は日本国民にもっと憲法のよさを伝えるべきだと思います。】
というのは正解でしょう。
>【憲法前文や9条の意義をまだまだ日本国民はよく分かっていないのだと思います。】
も、言葉の定義問題はある気もしますが「9条の価値」が過小評価されているという部分はあるだろうと思います。ただし、ここで注意が必要なのは「改憲論者」は憲法の前文や9条の条文を「少なくとも文章としては良く知っていて、なおかつ、変えようとしている」と云う点です。
改憲は「国民が主体(民意の反映)」からの方向ではなく「政府(もしくは支配層)の主導」によって「計画されている事項」という点です。
>【改憲の国民投票をいつ行うのかよりも憲法のよさを伝える方が先決でしょう。】
間違ってはいませんが、仮に「改憲のための国民審判が避けられない」のだと仮定した場合、そのタイミングは「護憲派に取っては最重要事項」ではないでしょうか?
つまり
1 今後永久に「改憲ための決着のための決戦」は行われない。
2 今以上に「護憲派に有利な状況が訪れる可能性」が予測できる。
の、いずれかの論証もしくは状況判断を示さないでの「改憲問題の先送り論」には価値はないという事です。
先の郵政選挙では「郵政民営化」が決定しました。この例に学ばなければいけないでしょう。郵政民営化反対論者は10年前から「地方自治体などでの議会決議」を中心に「議論の先送り(議論に入る事に対する反対)の運動を行っていた」そうです。
様々な方法で、郵便局の必要性をアピールして来たそうです。
その結果として「公社化」と云うことで一度は決着したのですが、一人の「郵政民営化論者の総理」が「まだ、決着していない。国民審判によって決着させる」と強引な政策決定をした結果として、見ての通りの結果になりました。
多分ですが、10年前に「政治的手法に頼らず、国民審判を受けて決着を付けていれば郵政民営化はなかった」だろうと思います。
見せ掛けの消火では「火種が残る」という部分があり、次に火が見えた時には「消し止められない大火になっている」という場合も考えなければいけません。
憲法改正問題を完全に鎮火させるためには「一度は国民的合意の形成」が必要だろうとKは思います。
>【アメリカから押し付けられたとしても大日本帝国憲法よりはるかにいい憲法だったのだから日本国民が「押し付けられた」事を持って変えようというのはいかがかと思います。】
変える為に「改憲議論に入る」という固定観念があるようです。
変えないために「改憲議論を決着させる」(国民的承認憲法という免罪符を得る)という視点も必要でしょう。
「アメリカの押し付け憲法である論」を論破すれば「決着できる」のではなく、「良い憲法であるという国民的合意形成」ができなければ、護憲勢力はジリ貧になる気がします。
>【国民が自国の憲法をよりよいものにしようと思う事はいい事です。しかし、自主憲法という点だけが強調されるのは形式論です。】
改憲派が形式論を利用している。と云う分析は正しいでしょうが、形式論であってもイメージとして「同意する人がいる」事も事実です。
形式論に拘る人がいて、それが無視できない勢力であるならば対処が必要です。
形式論だから対処不要ではないのです。
それに【国民が自国の憲法をよりよいものにしようと思う事はいい事です。】というのなら、改憲論議そのものに反対は通りません。「改悪派」と「改良派」での綱引きはどこかで受けなければ「より良い物」にすることもできないでしょう。
>【レバノンの惨状をネットで見た人は戦争をしてはいけないと思うでしょう。】
>【空襲されなくても戦場の写真を見るだけで充分ではないですか?】
>【ベトナム反戦でもソンミ村の虐殺の写真が反戦運動を高揚させたのですよ。】
>【アメリカが常に戦争をしているではありませんか。】
おっしゃりたい事の意味は分かりますが
1 ネットや写真情報で見た人の「日本人の人口比率」
2 アメリカの同盟国とも言える日本人の受け止め方
3 実体験と情報体験のギャップ
と云う点というような部分の視点の欠落も考慮する必要があるでしょう。
多分ですが「本当の意味での戦争の悲惨さ」は、「自らが戦敗国の一員として参加・体験し、かけがえのない者を失ったとか、自分の身体の一部を失ったとかしなければ」分からないだろうと考えています。
格闘技のドラマなどでは「骨を折られてなお戦う」などという精神論的な描写もありますが、痛みへの耐性も「実体験なし」では想像上の仮説ですよね。
一枚の「戦争の悲惨な写真」から個人の受ける印象は千差万別でしょう。
例えば「日本人が外国人を切り殺している写真」があったとして
1 「切り殺されている人は可哀想」と感じる人(殺される外国人の視点での考察)
2 「日本人は強い」と思う人(殺す日本人の視点での考察)
3 写真としての技術とか撮影背景などに興味を持つ人(第三者としての考察)
というような「視点によって受ける印象は様々」と考えられます。
ですから、アメリカが戦争に行っていると云う点から、日本の反戦論者が増えるとは限りません。日本は「アメリカの子分」ですから、アメリカが勝っているならば「戦争に賛成」という意見の人も増加する可能性もあります。
多分ですが、清水の次郎長の子分は「喧嘩をやめたほうが良い」なんて考えないでしょう。
戦争を(実体験として)知らない世代は確実に増えているというのは事実でしょう。