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(回答先: 今、憲法改正を受け入れなければ手遅れになる!! 投稿者 考察者K 日時 2006 年 10 月 07 日 11:22:48)
「疲労」という言葉がつかわれてますよね。
自動車、機械類、政治制度..etc.
まず、それを「120パーセント使用する」とか、酷使するということが前提だとおもいます。
普通、新しい機械、制度を導入する場合、古いものでトライしたけど、だめ、限界があるという、プロセスがありますよね。
私は、制度疲労うんぬんされる憲法精神なり、基本的人権の部分なぞ、ほとんど「未使用」のままだとおもっています。
一般国民が、日本国憲法と、(適当な言葉が浮かばない)「精神的な格闘」の経験、「生活面」で活用することなぞ、あまりないと思うのです。
本来、憲法改正を語る場合、遅きに失してるかもしれないけど、主権者によるこのプロセスが不可欠だと思います。
それに「憲法の制度疲労」という言葉、それを、誰がどう検証されたのか、わかりませんが、私はこの言葉に、一種政治的意図を感じます。
時代閉塞の現状を表わしている日本、このままでは「ニッチもサッチもいかない」というのは、今の世の中を仕切っている人たちも感知しているでしょう。
この憲法改正論議の背景には、
このまま行けば、政権の交代がおこり、今まで、享受していた特権、利権の構造が剥奪、解体される、あるいはほかの者たちにのっとられてしまうという、彼らなりの危機感があると思う。自分たちが、「ニッチもサッチもいかなくなった」日本にたいする、とってしかるべき責任を、現行憲法に押し付けて、延命を図るという意図。 そして、日本国民が、現行憲法精神に気がつく前に変えてしまえという目論見を感じてします。
改正案にしても、「所詮、主権者である国民は蚊帳の外」。
官僚、知性の発信地とは無縁になった大学のセンセがたたき台を作り、
政治家が朱筆を入れて、これに、マルかバツをつけろという形になると思います。
そして、今後、「特権支配の構造」の永続をのぞんでるテレビ局、電通好みのタレント教授が「面白おかしく」憲法改正についてのご解説をしてくださるでしょう。
フェアーな論争は望むべくもないだろうと思います。
流行の言葉で言えば、護憲派は「旧守派」のレッテルを貼られることが関の山でしょうか。
私は、日本憲法は、前の戦争でなくなった、民間人を含めた前世代の、現世代への「命と引き換え」の、無言の遺産だと思っています。
そして、この制定の背景には、戦争をこりごりだと思う国民全体の平和への意思があったとおもいます。
この意味から、充分、純国産だと思っています。
主権者である国民は蚊帳の外、マスコミのプロパガンダの中で、マルかバツを強要されるだけ、あるいは、プロイセン憲法が下敷の明治憲法、これらを純国産という厚顔は私にはありません。