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(回答先: Re: ありがとうございます。またさらに3点の質問。 投稿者 律 日時 2004 年 6 月 29 日 00:53:26)
律さん、どうもです。
【律さん】
「男と女の関係性を巡るやりとりをする際に、女性にせよ男性にせよ互いに「性的対象」としての側面のみ考察しているだけで足りるのか、という疑問が私にはあるのだと思います。また同時に、個人としては「性の峻別」と「男性/女性」という二つの存在性というのがある、という風にも私は考えていないようです。人は端的に人であるだけだと。
ただし、社会の仕組みとして「性差」というものが設定されているという意味ではおっしゃるとおりで、現在のところ皆この枠組みから自由ではありません。性の二分法がある側面「虚構」であるにしても、存続しつづけ利用している人びとが多数いるのは何故かということは無視してはいけない問題で、それが具体的にはどう受け止められて、生かされているのかということは、今回のようなやりとりの中で見えてくるものなのでしょうね。」
この後ろにあった「「性的存在」は他者ではないのですか?」の問いに答えるかたちで説明させていただきます。
説明不足で書いたことをお詫びします。
愛する妻や惚れた相手は、他者とは言えない、親密さ・思い入れ・こだわり・いとおしさを感じるとご理解していただければ幸いです。
(友人も他者とは言えない思いがありますが、惚れた女性は友情を超えて尊重します)
そして、性的趣向から女性にそそられるので、女性であるか男性であるかという違いは私にとって極めて重要なことです。
(人としての女性性にそそられるので、生物学的に女性であるというのは必須条件ではありません(笑))
>驚きの表明、ということですね。了解です。しかし、先の言い方では理解でなく溝を
>確認しているのかとの誤解は招きやすい表現のようにも思います。
わかった気になることが相互理解を阻害すると思っています。
あっしら氏****************
これまでの文明史は、男性がえらそうに振る舞うことの正当性を宗教・思想・理屈といった言説に依拠してきたと考えています。
そして、女性は本源的にそのような宗教・思想が考える「世界」でメインストリームに立てない存在とされ、男性(支配層)の振る舞いに違和感や不同意を示す女性を押さえ込んだり排除してきたとも考えています。
(男性の多くも、家族以外の関係性では女性と同じように扱われてきた)
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これまでの文明史はできることに関する性差の壁を大きく崩し、生物学的領域以外は、性差であれこれのべき論を常識化して規制する必要性をなくしたとも言えます。
(なんと言っても、生き続けるために費やさなければならない時間や活動力を大きく削減してきたが性差の壁を低めることに貢献したと考えています)
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>以上の二つの文章ですが、前者については同意します。支配層以外の男性の多くが女
>性と同じように扱われてきたというのも、その通りでしょうね。だけど同時にそのよ
>うな男性も支配階層である「男性」として大きく区分されてもいる、というのがドメ
>スティック・バイオレンスなどを産み出す要因の一つかと。
ドメスティック・バイオレンスの要因は、個々の事例をみないとなんとも言えないと思っています。
家族以外の関係性では女性と同じように扱われる鬱屈が、ドメスティック・バイオレンスにつながっていることもあると思っています。
男女関係や家族について自分の考えをさらすことはしても、他の人たちにかくあるべきというつもりはまったくありません。男女関係や家族の問題は、テメエらで落とし前をつけろと思っています。
そのような気持ちから、事実経過や実態がわからないこともありますが、ドメスティック・バイオレンス(幼児虐待も含む)に対してあまりどうこう言う気になりません。
暴行は犯罪なのですから告発するなり、離婚事由になり得ますから離婚するなりすればと思っています。
(念のため、男性がということではなく、女性が男性に暴力を振るうことも、どうこういう気がありません)
ただ、家族外で生じた鬱屈や怒りなどが家族に向けられることで起きるドメスティック・バイオレンスは減って欲しいとは思っています。
>しかし、後者の文章は前者の文章の述べていることと、矛盾する面もあるようにおも
>うのですが、この点はどう整合性がつけられるのでしょうか?
後者は活動条件の変化ですから、矛盾を感じられたのなら、少し言葉足らずだったかもしれません。
文明史が仕事が楽になることや仕事の効率性を追求してきたことで、何かを実現するために求められる人の活動力が変わったという説明で、それが“社会的性差別”の解消に直結したと言っているわけではありません。
条件としてはどっちだってできるのに、それは女性(男性)がやるものではないとか、それは女性(男性)にふさわしくないという価値判断は前者で色濃く残っています。
私は、それぞれがやらなければならないことをやるとともにやりたいことをやればいいと思っているので、“社会的性差”の解消にまったくこだわっていません。
(共稼ぎもいいし、専業主婦や専業主夫もいいと思っています)
>そもそも性的欲求が希薄な方ですのであまり参考にならないかも・・・。魅力を感じ
>る人が必ずしも「性的興味」の対象になるわけではないですし。
念のため、私だって、女性にしか魅力を感じないわけではなく、男性にも魅力を感じますよ(笑)
(ただ、性的魅力としてではなく人としてある女性に魅力を感じても、いつしか性的魅力は忍び込んでくると思っています。あくまでも、私の性癖です(笑))
>うーんと。基本的には了解しました、といいたいのですが、やっぱりどちらかが「生
>活費を負担する」ことが「売笑夫(婦)」の構成要素なんですよね。
>「魅力」「特性」に焦点を当てた上記の定義だけに照らせば、この条件はいらないよ
>うにおもうのですけれど・・・。また、別にことさら「負のイメージ」がある「売笑
>夫(婦)」という言葉を使わう必然性が感じられないのですけれども。
>疑問というのは、なぜ、この言葉を使う必要があるのかということですね。
NUEさんの流れを汲んで「生活費を負担する」というようにも書きましたが、夫婦共稼ぎで、お互い売笑婦と売笑夫であってもいいと思っています。
売笑婦という言葉を使うのは、売笑婦の「負のイメージ」を払拭するためだとご理解いただければ幸いです(笑)
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>逆にいえば、他者とセックスすることにさしたる重要性や必要性を感じていないとい
>うことでしょうか。欲求不満になってきたら、自慰しているほうがよっぽど楽だし気
>持ちいいとか思ってしまう。
生身の相手である限り、最中に気分とうまくシンクロしない動きも出てくるし、身体的負担も大きい(笑)から、自分の「世界」で完結する自慰のほうが気持ちいいかもしれませんね。
(自慰は、セックスの代替行為ではなく、別の意味をもった自立した性的行為だと思っています)
>この自粛で実りある関係性のいくつかを棒に振った過去があったような気がしていま
>す。男性が女性に近づくときにはいわゆる下心が全くないということはなく、こちら
>に応答する意志がないとみるや、これまでの関係を無にして「さようなら」というこ
>とが幾度かあり、致し方ないのかと思う反面、腹立たしくもあります。かといって関
>係をつなぎ止めるために性的行為に応じるというのもむかつくし、さらに推測される
>こととしては、単に性的行為に応じただけではだめで、おそらく排他的関係を相手は
>望んでいるので、それは私の意図するところではないから、結局応じないで関係を途
>絶えさせる道しかないという・・・・・。このような問題については、結局のところ
>私の人間的魅力の欠如が原因ということで自分を責め、納得してきたものです。
この部分を読んで、律さんも今風の男と女の修羅場をちゃんとくぐってきたんだなと思い、けっこうホッとしました。
(最初の出会いでベストマッチだと男と女の関係が美に昇華されていそうで、エグイことが書きにくい...)
ある年頃までは、セックスできる相手とできないけど魅力的な相手を天秤に掛けると、セックスできるほうを選ぶ男も少なくないと思っています。(私はそういうきわどい選択局面に立たされたことはないのですが、そうなったときは、やっぱりセックスできる相手に流れるだろうなと若い頃を思い浮かべて納得しています)
まあ、セックスしたいとも、セックスさせてあげても、という気分にならなかった相手ですから、「さよなら」でよかったのかもしれませんね。
人間的魅力の欠如を原因にするのではなく、セックスに執着する相手の色狂いや自分をその気にさせなかった相手の魅力の欠如を原因にしたほうが“正解”だと思います。