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Re: ありがとうございます。またさらに3点の質問。
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/445.html
投稿者 律 日時 2004 年 6 月 29 日 00:53:26:yVvnimQRLLslo
 

(回答先: 男と女の関係などについて [律さんへ] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 28 日 18:36:05)

あっしらさま、レスありがとうございます。
 横やりの上に阿呆な質問ばかりしてしまってあきれておられるかと思いますが、寛容に受け止めてくださり、感謝です。おかげでいくつかの違和感も解消できました。
 「個としての絶対的な差異がある」とのお言葉に甘えてまた少々質問など。
 
あっしら氏**************
いろいろご指摘いただきありがとうございます。調子に乗って危うい用語法を続けるのはあまりよくないと反省しています(笑)
(“攪拌棒”になりたいと考えていますので、人の思いを逆撫でする言葉を意識的に使っている面もあります)
*******************

 確かに「人の思いを逆撫でする」ことは新たな議論を呼び、世界へのさらなる理解を進める可能性があります。あっしらさんの前のご投稿のなかにも「道義的な反論歓迎」のような一文がありましたので、この辺は意図的なものがあるのだろうとは推測していました。
が、同時に一連のご投稿の内容には、非常にラディカルな側面と旧態依然たる「男性中心的」な発想とおもわれる言質が混在しているように見える側面があったので、真意がどこにあるのかわからず、いろいろ質問させていただきました。


あっしらさん**********
この間のやり取りは男と女の関係性をめぐるものですから、女性を「性的対象」としてのみ考察しています。
(略)
人という生き物は、性の峻別を超えた個人と男性か女性であることという二つの存在性を持っていると考えています。
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男と女の関係性を巡るやりとりをする際に、女性にせよ男性にせよ互いに「性的対象」としての側面のみ考察しているだけで足りるのか、という疑問が私にはあるのだと思います。また同時に、個人としては「性の峻別」と「男性/女性」という二つの存在性というのがある、という風にも私は考えていないようです。人は端的に人であるだけだと。
ただし、社会の仕組みとして「性差」というものが設定されているという意味ではおっしゃるとおりで、現在のところ皆この枠組みから自由ではありません。性の二分法がある側面「虚構」であるにしても、存続しつづけ利用している人びとが多数いるのは何故かということは無視してはいけない問題で、それが具体的にはどう受け止められて、生かされているのかということは、今回のようなやりとりの中で見えてくるものなのでしょうね。

あっしら氏**************
夫婦・恋人・一方的な惚れ込みそして一時的な性的快を求める相手は“性的存在”であり、それ以外の関係性においては、異性であっても“性的存在”ではなく他者(個人)になると思っています。
(他者がいつ“性的存在”になるかは神のみぞ知るですから、厳密なラインが引けるものではありません)
* ********************


この点、ちょっと確認したいのですが、「性的存在」は他者ではないのですか?
あっしらさんのいう「他者」と「性的存在」の差はどういうところにあるのでしょう。


あっしら氏******************
性的関係に対する「世界(価値観・美意識)」は、男性のそれには共感できないとしても理解できることが多いのに対し、女性のそれにはなんで?どうして?と思うことが多いので、「女と男は別種の生き物だ!」という驚きを連発しています。
(裏返しになりますが、その驚きは、女性一般に対するものではないとしても、ある種の女性への理解が進んでいることでもあると思っています)
* ***************************

驚きの表明、ということですね。了解です。しかし、先の言い方では理解でなく溝を確認しているのかとの誤解は招きやすい表現のようにも思います。

あっしら氏******************
相手を「性的対象」としてのみ見ることがその人ないしその性を見下していることになるという論理は、言いたいことはそれなりにわかりますが、見下すとかになる話ではないと思っています。
自分が性的魅力を感じない女性を排除する気もなければ、性的魅力を必要としない人との関係性も重視していますので問題はないと考えています。
* ************************

これはわざと「見下す」という表現を差し込んでみてしまいました。
私も「性的対象としてみること」=「人間として認めない」ということではないと思っています。しかし、男性の場合すくなからず「性的対象」を人と思わない愚を犯している例が散見されますので、よもやあっしらさんも?という疑問がぬぐいきれずに確認したかったというところです。そうではないようで安心しました。

あっしら氏****************
これまでの文明史は、男性がえらそうに振る舞うことの正当性を宗教・思想・理屈といった言説に依拠してきたと考えています。
そして、女性は本源的にそのような宗教・思想が考える「世界」でメインストリームに立てない存在とされ、男性(支配層)の振る舞いに違和感や不同意を示す女性を押さえ込んだり排除してきたとも考えています。
(男性の多くも、家族以外の関係性では女性と同じように扱われてきた)
* *******************
これまでの文明史はできることに関する性差の壁を大きく崩し、生物学的領域以外は、性差であれこれのべき論を常識化して規制する必要性をなくしたとも言えます。
(なんと言っても、生き続けるために費やさなければならない時間や活動力を大きく削減してきたが性差の壁を低めることに貢献したと考えています)
* ********************

以上の二つの文章ですが、前者については同意します。支配層以外の男性の多くが女性と同じように扱われてきたというのも、その通りでしょうね。だけど同時にそのような男性も支配階層である「男性」として大きく区分されてもいる、というのがドメスティック・バイオレンスなどを産み出す要因の一つかと。
しかし、後者の文章は前者の文章の述べていることと、矛盾する面もあるようにおもうのですが、この点はどう整合性がつけられるのでしょうか?
後者の部分にもその通りとおもう側面はあるのですが、宗教等で性差の壁を拡大解釈する過程と労働形態の変化によって性差の壁を低めていく過程が「これまでの文明史は」と同列化されているので混乱するのかもしれません。どちらかというと後半の方は日本で言えばこの50年ほどの出来事を指していると、私はとらえていますけれど。


あっしら氏*****************
「男性がえらそうに振る舞うとしても、それを憎悪するのではなくほほ笑んで受け止めてくれる女性の掌の上で演じるものである限り救いがある」と言うのは、女性が違和感や不同意を示すのではなく、“あんな風にやらなくてもできるのに...しょせん男って見栄っ張りなのよね”と笑えるものなら救いがある(世の中に害を与えない)だろうという意味です。
* ***********************

以上、了解です。ただし、それなら男性がえらそうにしても良いという意味ではありません(笑)。


あっしら氏*****************
今回のテーマでは、生物学的な性差よりも、社会的に生きている個々人が、性差から何を感じどう受け止めるのかのほうが重要だと思っています。(ホモセクシャルは、生物学的には性差がない相手に性差を感じるという人ならではの精神性の現れだと思っています)
* ************************

以上に述べたように、ほぼ同意します。
ただ、ホモセクシュアルの場合「性差」を感じるから相手が性的存在になるのかどうかについてはよくわかりませんので保留します。
私自身も実は、あまり性的興味の対象として異性・同性かの区別がない方です。気になる相手は「違う性だから」というよりも「私とは違う存在」というインスピレーションを強く受ける人であることが多いですね。雰囲気とか話す内容とか行動とか。その「違う」と感じるているところが「性差」なのだと定義されれば、「そうなのか」という感じですが。
そもそも性的欲求が希薄な方ですのであまり参考にならないかも・・・。魅力を感じる人が必ずしも「性的興味」の対象になるわけではないですし。


あっしら氏***************
セックスをことさら特別視したり“愛の証”のように考えることはないトーンはベースにあります。
生殖につながりもっとも濃密な身体関係であるセックスも、性的魅力を感じる関係性としては、会話やダンスの延長線にあると考えています。
(会話やダンスはいいけどセックスはダメという考えは、理解はできるけど、“愛”にとってほんとうにそうなのかという疑義です)
* *********************

この考え方は同意できます。みんながそう考えてくれればもっと自由に行動できるのになあと思ったりしています。「愛」というのはセックスの必要条件ではないでしょう(っていうか、愛って何よ)。ただ、相手に対する「信頼」はある程度必要だと思います。だってもっとも無防備な姿をさらすわけですから、いざとなったときに豹変して首を絞めたりするかもしれない危険のある相手とは喜んでセックスはできませんよね?

私のことを少し書くと、自分からの性的欲求は強い方ではないが、別にセックスすること自体は嫌いでもなく、そこそこ共感を持てる相手であれば、セックスに対する抵抗意識も特にない方です。ただ、女性の場合は妊娠の可能性がゼロとはいえないので、慎重になる部分はあります(信頼の部分とも関係がある点ですが)。逆にいえば、他者とセックスすることにさしたる重要性や必要性を感じていないということでしょうか。欲求不満になってきたら、自慰しているほうがよっぽど楽だし気持ちいいとか思ってしまう。
しかし、それよりなにより私がいわゆる奔放な性的行動をとれないでいるのは、周囲がそのような行動に肯定的な評価を下さないであろうということが分かり切っているからであります。周囲の制裁をおそれて自分の世界を狭めるのはつまらないと思う反面、しかし自粛してしまう意気地なしです。すみません。
この自粛で実りある関係性のいくつかを棒に振った過去があったような気がしています。男性が女性に近づくときにはいわゆる下心が全くないということはなく、こちらに応答する意志がないとみるや、これまでの関係を無にして「さようなら」ということが幾度かあり、致し方ないのかと思う反面、腹立たしくもあります。かといって関係をつなぎ止めるために性的行為に応じるというのもむかつくし、さらに推測されることとしては、単に性的行為に応じただけではだめで、おそらく排他的関係を相手は望んでいるので、それは私の意図するところではないから、結局応じないで関係を途絶えさせる道しかないという・・・・・。このような問題については、結局のところ私の人間的魅力の欠如が原因ということで自分を責め、納得してきたものです。
(すみません。調子に乗って愚痴を書きました。)


あっしら氏************
「家族」をどのようなものとするかは難しい問題ですが、共同生活形態や擬似家族も排除すべきではないと考えています。
(共同生活形態は、密接な関係性がありながらセクシャルな要素がない関係です。擬似家族は、ホモセクシャルな関係にある二人が夫婦が形成する家族と類似的なものをつくることを想定しています)
保守主義者ではありませんが、一対一ではない夫婦関係を認めるかどうかは、社会の安定を考慮したほうがいいとは考えています。(女性にしろ男性にしろ、夫婦関係や「家族」からあぶれる人は増えるのは好ましくないと思っています(笑))
*********************

以上の点、了解&同意します。「家族」的な集団のなかで、セクシュアルな関係をどう扱うかというのは結構危うい問題ですよね。本来的には「家族」はセクシャルなものを排除した集団と捉えられますが、夫婦関係だけは例外的に扱われている側面があって、ここが不安定要素だと思います。特に、生産手段が家族生活と乖離してしまっている現代においては、夫婦関係の存立基盤はあやふやなもので、いつでも解消可能なものになっている。だったら、むしろ性的関係は外部に置いてしまうというのも一つの手ではあります。子どもは、夫婦で育てるのではなく、多様な人がセクシャルな関係抜きで集まっている「家族(共同生活形態)」で育てるとか。まあ、全体がそうなるのは無理だろうなとは思いながら。


あっしら氏****************
この間のやり取りで使われている「売笑婦」という言葉は、売春(対価が支払われること)を重視しているわけではなく、セックスも含みともに過ごしたい気にさせる“魅力”や“特性”に富んだ存在という意味で使われています。
(異性を惹き付ける能力の持ち主と置き換えていただければと思っています)
******************
「売春」は上述の通りですから捨象して、自分(ある女性)が生活経費を負担するかたちで、「性的行為」がなくともずっとそばにいて欲しいと思わせる男が、「セックスレスの高級売笑夫」に該当します。
********************
大切なセックスをお金で売っているとか、男に媚びを売っているとか、お金で自分の生き様を歪めているといったと“負のイメージ”を想定したものです。
**********************

うーんと。基本的には了解しました、といいたいのですが、やっぱりどちらかが「生活費を負担する」ことが「売笑夫(婦)」の構成要素なんですよね。
「魅力」「特性」に焦点を当てた上記の定義だけに照らせば、この条件はいらないようにおもうのですけれど・・・。また、別にことさら「負のイメージ」がある「売笑夫(婦)」という言葉を使わう必然性が感じられないのですけれども。
疑問というのは、なぜ、この言葉を使う必要があるのかということですね。

あっしら氏****************
ということではなく、快感であれ、愛であれ、深い平和や安寧であれ、それらを感じ取るのは、突っ込まれるというセックスの受動的形態であっても女性の能動的な精神営為であるということです。
(能動の反対語が受動ではないということです。能動の反対語は、無為であったり不感であると考えています)
* *******************

頭がわるいのでちゃんと理解できているかわかりませんが、おおよそわかりました。
でも、確かに器官としては相手を受け入れている形だろうけど、女性の側から向かっていく(男性を食うというのか)と捉えることも可能なので、必ずしも受動的なセックス形態とも云えないのではないかなあとか、また別のことを考えてしまいました。

あっしら氏********
朧月夜さんと私のそれぞれのセクシャルな夢想に関するものですから、それぞれが、女性一般や男性一般のものだとは考えていません。
* ************

了解です。でも、一般論に読まれなくもない書き方でしたよね。その点がちょっと危険ではないかなと思ってしまったのです。意図的にやっていることなのかもしれませんが。

たいしたことを書いていないのにだらだら長くてすみません。
どうもなれないことをしているのでうまくできません。
貴重なお時間を割いてくださり、感謝致します。
@ 他者と性的存在の違い。
A これまでの文明史と性差の問題。
B 売笑夫(婦)という言葉を用いる意義。
要約すれば以上の3点に関する質問でした(何故こんなに長くなるのか)。

貴重なお時間を割いて頂くのはほんとに恐縮なのですが、簡単にでも教えて頂けると感謝です。よろしくお願いします。

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