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(回答先: 「幼児虐待問題」と「イラク人質問題」は同一次元で論じられないものです。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 30 日 21:55:26)
あっしらさんへ
私の考え方と違う点を2点あげます。
▼あっしらさん
【「子どもが心底邪魔なら殺して罰を受けるという落とし前の付け方もある」というのは、死刑や無期懲役もあるのですから「殺してもやむなし」というニュアンスではなく、うっとうしいとかお金がかかるとか面倒を見切れないからといって“社会”や“国家”に子育てのゲタを預けるのではなく、「自分たちが生んだ子どもにきっちり責任を取る」ということや「覚悟をもって子どもを育てろ」というのが趣旨です。
幼児虐待は聞くに耐えない、そのような可愛そうな子どもは社会や国家が引き取って育てるべきだという気持ちはわからないではありませんが、それよりは、「自分たちが生んだ子どもにきっちり責任を取る」ことができるだけ可能な社会構造をつくっていくほうが理に適っていると考えています。
】
特に「覚悟をもって子どもを育てろ」という考え方に違和感をおぼえます。
覚悟がなければ子供を生む資格はないのでしょうか。極端なことを言うと覚悟が足りなければ子供を殺して責任をとるのが理に適っていると考えられるのでしょうか。
私は違うと思います。
誰しもが自由に子供を生む権利が許されるのではないでしょうか。例え子供を見る覚悟がないとしても生む自由はゆるされ、親が自分は適任ではないと判断した場合は、社会がその子供を無条件で見る事ができる社会構造を作っていくほうが、理想的であると考えてます。
子供を作ることは生命の営みです。覚悟がなくても子供は生むことができ、それを制限することが良い社会とは言えないと考えます。
そういう社会よりも、子供に対してなるべく親が責任・覚悟を感じなくて済むような社会作りの方がより健全な社会と言えるのではないでしょうか。
つまり親が子を私物化しないで良いという社会です。
▼あっしらさん
【「幼児虐待問題」と「イラク人質問題」は同一次元で論じられないものです。
日本国民が外国で人質になり日本政府に要求を突き付けたときには、日本政府はもてる智恵と力を使って人質を無事に解放させる責務があります。
「幼児虐待問題」に関して言えば、日本政府は、虐待される幼児を引き取ることではなく、幼児虐待が社会的経済的要因で起きることをできるだけ除去することが責務です。
】
「幼児虐待問題」と「イラク人質問題」は今回のあっしらさんのとりあげた問題については同一次元の問題であると考えております。
ちなみにあっしらさんの上記発言(イラク人質)を幼児虐待に置き換えますと・・・。
日本国民が個々の家族で子供が虐待になり日本政府に子供を見てくれと要求を突き付けたときには、日本政府はもてる智恵と力を使って子供を無事に解放させる責務があります。
と置き換えることは可能です。
そしてあっしらさんは日本政府が幼児を引き取る方法ではなく、親に覚悟を決めろという社会構造を作ることが最善であると言われておりました。そして私はそれは違うのではないかと上記で述べました。
つまり親が子供を生むことは自由であり、社会は親が子供を私物化することを止める社会をめざすべきだと考えます。
つまりイラク人質問題で考えるならば、どこの国も自由に他国から人を受け入れるべきであり、それに制限を加える世界ではなく、人間(人質)を国の私物化にするような世界をやめさせる社会構造を目指すべきではないかと考えます。