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あなたが幼児虐待問題で把握している「問題の基」は親の「私物化」意識なんですか?
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/538.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 02 日 15:56:12:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: リアリティの枠に閉じこもり、思い込みの激しい人ですね。 投稿者 ゆらぎ 日時 2004 年 7 月 02 日 12:01:52)


ゆらぎさん、どうもです。

>おいおい「リアル」の後は、「リアリティ」ですか。
>それに「危険」に「空虚」に「健全」「トンチキ」「合理性」「カス」・・、ですか。>私の論理を空虚だとして片付けてしまうその発想の乏しさ、議論の論点を巧妙にずら
>していく論法等々・・・。今後の議論の意味すらも考えさせられます。

なぜ、あなたの論が、「危険」・「空虚」・「トンチキ」・「カス」であるかについては、それなりに具体的に説明していますよ。

あなたは、こちらが指摘した内容にまともに答えずに、相変わらず、親の「私物化」意識が問題だ、「「命」は大切だ。社会でなんとかしよう」というレベルの説明しかしていないのです。

そのようなあなたの論を“健全”な多数派が受け容れることはなく、あなたが願う「子どもたちの健やかな成長条件」に近づくこともないと言っているのです。

あなたの論は、「世界が平和でありますように」とか「世界は一家人類みな兄弟」とか「命はみな公平」という類のものと変わらないものです。


>リアル、リアルって現実論のみが議論ではないでしょう(そもそもあなたの発言がす
>べてリアルなものとも思ってはおりませんが)。

宇宙の始源なら純粋思弁としても意味がありますが、「子どもたちの健やかな成長条件」は現実論以外に意味はありません。

>当時地球が太陽の回りをまわっているとしたリアリティのない人は議論ができないの
>ですか?

アホですか?
天動説も地動説もともにリアリティがある考え方ですし、ともに真理ではない考え方です。


>当時量子物理学を発明したリアリティのない人は議論をしてはいけなかったのですか?
あなたは、観測論的物理世界を観念的に構築した量子物理学者ほどの論を語っているわけではありませんよ。

あなたの論は、多くの人が気持ちの上ではそうあって欲しいということを、諸個人(親たち)の責任を宙に放り投げ、社会や国家という抽象的存在が実現すべきと言っているだけです。

>「幼児虐待」をなくすという社会構造についての私の発想は、確かにあなたの主観か
>らみればリアリティのない論かもしれません。

自分にまったく関わりなく、社会や国家という抽象的存在がほんとうにそれを実現してくれるからどうぞそうしてくださいという人は圧倒的多数でしょう。

私が考えるしかないのですから、私がリアリティがないと判断すればそうなるのです。

主観といったチンケな言葉を言葉を使うのなら、どのような論や認識が主観的思考営為を“超えた”ものか上げてください。

私は、あなたの論を主観だからと言って非難しているわけではなく、目的を現実化できないことや公権力や他人がひとの家族関係にどかどか踏み込むことになるという理由で非難しているのです。


>ただしリアリティのない話でもあなたの論よりは、「幼児虐待」をなくすことができ
>ているのではないですか?

あなたの論が多数派に受け容れられることはなく、万が一錯誤の結果受け容れられたとしても、そのためには膨大かつ緻密な監視体制を敷かなければならず、それでも「幼児虐待」をなくすことはできないといっているのです。

どんなこともやっても、減少はしますが、「虐待」のみならず殺される幼児がゼロになることはありません。

>私の話を空虚だ、現実的でないなどと議論から除外しようとするあなたの論法は、私
>の目からは議論を「勝ち負け」としか判断していないように思えて悲しい気持ちにも
>させられます。

バカヤロー!
あなたの望みや目的が少しでも現実になるようにやり取りしていることさえ理解できない人とは議論する意味はない、と判断します。


>もちろんそれもある側面においては有効だとしており、また「それにとどめるべき
>だ」とも私もずっと言っています。勘違いなさらないでください。

ふざけるんじゃないよ。

あなたの論を読んで「それにとどめるべきだ」と書いていると受け止めた人がいるのなら、その人の判断力を疑います。

>もちろん一件でも減らしたいなら有効だと思います。わたしはあなたの出した具体論
>が有効ではないとは言ってはおりません。ただすべてに対してはそれのみではたして
>有効かどうかを言っているのです。
>現在、過酷な生活条件で幼児虐待をしている人もいるでしょう。しかしそれ以外もい
>るといっているのです。日本の場合はそれ以外の方が多いのではないですか?

家族内に限らず、人が暴力を受けたり殺されたりすることは減少できてもゼロにはできないと考えています。

現実的に可能などんな監視体制をとってもゼロにできない、逆に、そのような監視体制をとることの弊害のほうがずっと大きいと言っているのです。

人はひとりひとり違う感受性や価値観を持っています。すぐに手を出す人もいれば、自分が危機的状況に追い詰められていても手を出さない人もいれば、同じ状況で自殺を選ぶ人もいます。

どのような親のもとに生まれてくるかは“運命”であり、ご自身が他者(子どもや親)に全面的な責任を取れることを証明しないかぎり、外的一般条件の改善を超えて内に踏み込むべきではないといっているのです。

あなたは仲間を募り、「子どもの命は大切です。子どもの自主性は大事です。子どもにすぐ手を出す人は役所に行こう!」という幟を押し立てて全国行脚してください。
(いやみではなく、あなたの論は、それを超えるものではないのです)

▼あっしらさん
【(親に殺される幼児が出てきても“運命”であり仕方がないことなのです。それを防ぐことはまずできないし、是が非でも防ごうとしたら、家に権力機構の者や善意の他人が踏み込んでくるというとんでもない世の中になります。それでも、四六時中監視できるわけではないので、虐待も子殺しも起きます。子どもを含めて、人という存在を甘くみちゃあだめです。戦時中の日本でも、今の北朝鮮でも、人々はけっこうしたたかに生きるものです)】


>運命なら殺してもいいと片付けてしまう発想のどこにリアルがあるのか私にはわかり
>ません。
>またあなたが再三勘違いしていることは、私の“空虚な”論のどこに他人が他人の意
>志で人の家族に干渉することができると書いてありますか?

よその家族が子どもを「私物化」することを許さないと受け止められることを何度も繰り返し書いていますよ。

子どもは親=「私」のものであり、だからこそ親は子どもの行状に法的責任も負わなければならないのです。

「私物化」することを許さないというのなら、あなたが親に代わって全責任を負ってください。(もちろん、法的に国家がすべての子どもに全責任を負う形態を実現してもかまいませんが...)

>私の発想のどこに「一軒一軒の家を回り一人ずつ親の価値観や性向をチェックし、適
>切に処置をする」と判断できますか?トンチンカンな判断を下すのはよしてください。
あなたが具体論を書かないから、そうでもしないとあなたの夢は実現しないのではと逆に提起したのです。

虐待している親の多くは、虐待をしても子どもを手離してもいいとは思っていないはずです。
そうであるならば、あなたの夢である子どもの虐待をなくすためには、私が書いたようなことをしなければならないのではと言ったのです。


>私は親の子供に対する価値観(私物化)を変えなければならないとしており、それが
>達せられれば人は人を私物化しなくなるから、人に対して他人が判断し、処罰をする
>ようなこともなくなると言っているのです。
>これがリアルでないなら、少しづつリアルにするためにはどうすればいいかを考える
>のではないですか?


「私物化」することを許さないというのなら、あなたが親に代わって全責任を負ってください。(もちろん、法的に国家がすべての子どもに全責任を負う形態を実現してもかまいませんが...)

>私は、他人がわあわあと手出しをすることを良しとはしておりません。
>他人が罰を与えることすら根本的には反対なくらいです。
>私が再三言っているのは、“自主的な”命の尊重です。


あなたは仲間を募り、「子どもの命は大切です。子どもの自主性は大事です。子どもにすぐ手を出す人は役所に行こう!」という幟を押し立てて全国行脚してください。
(いやみではなく、あなたの論は、それを超えるものではないのです)


>また仮にこの設問の条件を見るとしても、あなたは合理的合理的と声高におっしゃっ
>ておりますが、そもそもあなたの出した答えのどこにあなたの言う合理性があるのか
>不思議です。
>Cを選択して幼い子供2人を殺し、あなたが言うには殺した自分達親も責任をとって
>死ぬという決断をしなくてはならない。それのどこに合理性があるのか、私にはわか
>りかねます。

設定の場合は緊急避難に当たりますから、親は罪を問われません。
だから、親が死ぬとは説明していません。

全員が餓死するより、活動力を持っている人がその活動力を温存できるようにすることで、ひとりでも多く生き残るほうが合理的だと言っているのです。

どう合理性がないか説明してください。


>子供を生かすために合理的に判断して子供を殺していたのでは本末転倒だと言ってい
>るのですよ。
>それはあなたの主観的なものの見方による判断、決めつけです。
>また「自分で子どもを殺して決着を付ける」ことの方が“カス”と私は思っております。

アホか、実際に殺すということではなく、そこまで考える人はいろいろ考えることができると言っているのです。

イヤだ、面倒だ、うっとしい、だからひと(社会や国家)にゲタを預けようとする人は、他の面でもイヤだ、面倒だ、うっとしいになちがちです。

そんな人たちが増殖した社会は悲惨だと言っているのです。

>そのカスの行動をなくす為には、私物化という概念をなくす社会作りが大切であると
>も言っております。この発言であなたは家族干渉だと仰られるのなら、発想の乏しさ
>すら感じます。

それぞれが生んだ子どもは、私のものとして育てる責務があると言っているのです。
あなたの「私物化」は、子どもの自主性を抑圧していること以上のものではありません。
そうであるならば、「公有化」しても、子どもは間違いなく「私物化」されます。

誰か生身の人が子どもの面倒を見るしかなく、育て方は、その社会の価値観に沿った価値観を醸成するものだからです。

>私に多くの子供を見る財力があればいつでも歓迎しますよ。(笑)

アホかないな。
多くの家族がなんとかそこそこの生活を維持しているから、子育てを放棄したカスのために所得を削られることにつながるあなたのような論は受け容れないといっているのです。
「財力があれば」などを軽く言うあんたは心底「カス」なのです。


>また、色々な子供を知っておりますが、子供は“危険な存在”だとは思っておりませ
>んよ。自由な、束縛のない、発想のできる子供だと感じることはできませんか?

私もですが、不自由で束縛を受けた発想と思考しかできないのが、子どもに限らず人だと思っています。

人はそれをできるだけ減少させたいと願っている存在ですが、不自由や束縛を受け容れられなければならない存在であることを理解しなければならないのです。

自由で束縛のない自分になりたいという思いと、不自由や束縛を受け容れられなければならない存在であるという理解のせめぎあいのなかで、いろいろな発想や智恵が出てくるのです。

>あなたは木を見るのに、葉を見て根の方を見ない人ですね。

具体的にどういうことなのか説明してください。


>私は、しっかりとその問題の基となるものを把握し、空虚と言われようがその解決法
>を考え、議論し、後に現実の多数派が受け容れることのできるものとするには、どう
>すれば良いかを検討していくようにしております。

今回であなたが理解している「問題の基」は、「私物化」以外になにも見えないのです。
それを基にしているかぎり、空虚から脱することはできません。


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