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くどい人ですね。そうだと何度も言ってますよ。
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投稿者 ゆらぎ 日時 2004 年 7 月 02 日 22:49:50:GhYcW4/mLfc6s
 

(回答先: あなたが幼児虐待問題で把握している「問題の基」は親の「私物化」意識なんですか? 投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 02 日 15:56:12)

あっしらさんこんばんは。


▼あっしらさん
【あなたが幼児虐待問題で把握している「問題の基」は親の「私物化」意識なんですか?】


くどい人ですね。そうだと何度も言ってますよ。


▼あっしらさん
【なぜ、あなたの論が、「危険」・「空虚」・「トンチキ」・「カス」であるかについては、それなりに具体的に説明していますよ。
あなたは、こちらが指摘した内容にまともに答えずに、相変わらず、親の「私物化」意識が問題だ、「「命」は大切だ。社会でなんとかしよう」というレベルの説明しかしていないのです。】


私がまともに答えないのは、意図的かどうかは知りませんが、あなたが論点からそれた部分で議論しようとなさるからではないですか?
逆に言いますと、あなたは、私の指摘した内容にまともに答えておりませんよ。
@ 幼児虐待の“根本”となる原因は何か?
A 幼児虐待は私物化(所有化)の概念以外、何があてはまるか?
B あなたの解釈は子供を生むことに制限をつけずに責任ある態度で子供を接する親のみを残すことができるのですか?
C あなたの論では上記Cをカバーしていないばかりか、幼児虐待のすべてをカバーしきれておりませんが、どうすれば良いか?
少なくともこの4つの質問にまともに対処してから、「アホ」だの、「カス」などと言ってみられたらどうですか?


▼あっしらさん
【そのようなあなたの論を“健全”な多数派が受け容れることはなく、あなたが願う「子どもたちの健やかな成長条件」に近づくこともないと言っているのです。
あなたの論は、「世界が平和でありますように」とか「世界は一家人類みな兄弟」とか「命はみな公平」という類のものと変わらないものです。】


多数派が受け入れる受け入れないの段階で話をしているのではないでしょう。「この問題の根本の原因となるのは何か?」をまず論じているのではないですか?
そもそもの論点はそこでもないですが、あなたの都合の良い方向へ誘導するのはおやめください。

それからあなたの言う具体策を“全国行脚”で終わらさないリアルなことだという根拠(方法論)の書いてある箇所はどこでしたか?それもじっくりと読んでみたいと思います。


▼あっしらさん
【宇宙の始源なら純粋思弁としても意味がありますが、「子どもたちの健やかな成長条件」は現実論以外に意味はありません。】


現状を意識すれば、その通りですよ。だからと言って責任ある態度として、子供を殺して自分も死ぬという判断を下す人は、決して無責任に手放す人より健全ではないと言っているのです。現実論だからとそれを健全とする判断に疑問を呈しているのではないですか?
その根本原因となるものを探しだすことに無意味さを感じませんし、それを感じながら現実的に「無責任に手放す人」を赦す社会を作りだしていくのが良い方法だと考えているのです。


▼あっしらさん
【アホですか?
天動説も地動説もともにリアリティがある考え方ですし、ともに真理ではない考え方です。】


今となってはどちらもリアリティのある考えかも知れませんが、私の言いたいのは、この世に天動説しかなかったころ、地動説はリアリティのある考え方だと認識されましたか?それを言った人は狂人扱いされ、議論の対象にはならなかったはずです。
私物化の概念も、今はリアリティのない考え方ですが、徐々にリアリティのある考え方にすればいいではないですか。今回の論点には早いも遅いも関係ないです。根本を探ることができない段階で枝葉を付けていっても方向性を間違うだけです。

また、「アホ」という、あなたお得意の罵倒発言ですが、醜いですね。(美意識の問題ですが。)


▼あっしらさん
【あなたの論は、多くの人が気持ちの上ではそうあって欲しいということを、諸個人(親たち)の責任を宙に放り投げ、社会や国家という抽象的存在が実現すべきと言っているだけです。】


宙には放り投げてはいないでしょう。責任を感じて殺すぐらいなら責任を感じずに生きることを選んだ人を赦すことではないですか?
責任、責任とがんじがらめにすると、子供を生むのが適任者に限定されるのではないですか?


▼あっしらさん
【自分にまったく関わりなく、社会や国家という抽象的存在がほんとうにそれを実現してくれるからどうぞそうしてくださいという人は圧倒的多数でしょう。
私が考えるしかないのですから、私がリアリティがないと判断すればそうなるのです。
主観といったチンケな言葉を言葉を使うのなら、どのような論や認識が主観的思考営為を“超えた”ものか上げてください。
私は、あなたの論を主観だからと言って非難しているわけではなく、目的を現実化できないことや公権力や他人がひとの家族関係にどかどか踏み込むことになるという理由で非難しているのです。】


リアリティがないと叫ぶから、それはあなたの主観から見たものだといっているのでしょ。
もう少し頭を柔軟にして、あなたの主観的リアリティの枠を広げてみればというアドバイスです。

また、あなたの提示した論(解決策)とういうわけではなく、この論点にある「責任をとって子供を殺し自分も殺す」を選択した人が、「責任を放棄し子供を他へ渡す」を選択をした人より健全だとする論理をされるなら、あなたの方が、「目的を現実化できないことや公権力や他人がひとの家族関係にどかどか踏み込むことになる」と私は非難したい。理由は何度も説明済。


▼あっしらさん
【あなたの論が多数派に受け容れられることはなく、万が一錯誤の結果受け容れられたとしても、そのためには膨大かつ緻密な監視体制を敷かなければならず、それでも「幼児虐待」をなくすことはできないといっているのです。
どんなこともやっても、減少はしますが、「虐待」のみならず殺される幼児がゼロになることはありません。】


あのねー、監視体制を引いた時点でそれは「私物化」(所有化)でしょ。私が言いたいのは意識の問題ですよ。自然とそういう意識になるように社会を変えていくことは可能ですよ。
私は、あなたの論理の方が、国民に監視体制を引かなければ実現しないと考えます。
「責任ある親しか生むことはできない」と。(説明済)


▼あっしらさん
【バカヤロー!
あなたの望みや目的が少しでも現実になるようにやり取りしていることさえ理解できない人とは議論する意味はない、と判断します。】


笑っちゃいますね。あなたは私の論のどこに現実になるようにやり取りしましたか?


▼あっしらさん
【ふざけるんじゃないよ。
あなたの論を読んで「それにとどめるべきだ」と書いていると受け止めた人がいるのなら、その人の判断力を疑います。】


私は何度も“自主的”と言っておりますし、私物化(所有化)ではない概念そのものが“自主的” “自由的”となるというものですから、他人が押し付けてはいけないと言っているはずです。
あなたがそれを判断できないのであれば、私があなたの判断力を疑います。


▼あっしらさん
【家族内に限らず、人が暴力を受けたり殺されたりすることは減少できてもゼロにはできないと考えています。
現実的に可能などんな監視体制をとってもゼロにできない、逆に、そのような監視体制をとることの弊害のほうがずっと大きいと言っているのです。
人はひとりひとり違う感受性や価値観を持っています。すぐに手を出す人もいれば、自分が危機的状況に追い詰められていても手を出さない人もいれば、同じ状況で自殺を選ぶ人もいます。
どのような親のもとに生まれてくるかは“運命”であり、ご自身が他者(子どもや親)に全面的な責任を取れることを証明しないかぎり、外的一般条件の改善を超えて内に踏み込むべきではないといっているのです。
あなたは仲間を募り、「子どもの命は大切です。子どもの自主性は大事です。子どもにすぐ手を出す人は役所に行こう!」という幟を押し立てて全国行脚してください。
(いやみではなく、あなたの論は、それを超えるものではないのです)】


ゼロにはできないかもしれませんが、それができればゼロになるかもしれないという期待感はあります。
また現実的に子供が虐待死しているという結果が存在するわけだから「それは運命です」「罰をもって責任とします」と諦めずに、その根本となる原因をつきとめ、それが自主的に解決する方法を探ることではないですか?
つまり死をもって征するというような罰からは何も学べず、その結果から学んで変化していこうと考えるのは人間ではないですか?


▼あっしらさん
【よその家族が子どもを「私物化」することを許さないと受け止められることを何度も繰り返し書いていますよ。
子どもは親=「私」のものであり、だからこそ親は子どもの行状に法的責任も負わなければならないのです。
「私物化」することを許さないというのなら、あなたが親に代わって全責任を負ってください。(もちろん、法的に国家がすべての子どもに全責任を負う形態を実現してもかまいませんが...)】


現在はそのような社会ですから、当然自分の「私物化」として扱うでしょう。しかしそれが虐待の原因を作っており、意識を変えていかねばならないと言っているではないですか?現実にできるかどうかは二の次でしょ。現実にできないから空虚でありカットですか?
また私が全責任を負うなどと、いつまでも子供じみた発想の仕方をやめてもらえませんか?


▼あっしらさん
【虐待している親の多くは、虐待をしても子どもを手離してもいいとは思っていないはずです。
そうであるならば、あなたの夢である子どもの虐待をなくすためには、私が書いたようなことをしなければならないのではと言ったのです。】


それも一手段として尊重されるといっているでしょ。そしてどうすれば全ての虐待死がなくなるか、その根本となる原因を探っているのでしょ。それを空虚だなんだと頭から否定している人は、とても私の論を現実にしようとは考えていないのではないですか?


▼あっしらさん
【「私物化」することを許さないというのなら、あなたが親に代わって全責任を負ってください。(もちろん、法的に国家がすべての子どもに全責任を負う形態を実現してもかまいませんが...)】


愚問により回答拒否。
また、あなたのリアルに乗っ取ると、国家とは政府のことですか?国民のことですか?


▼あっしらさん
【あなたは仲間を募り、「子どもの命は大切です。子どもの自主性は大事です。子どもにすぐ手を出す人は役所に行こう!」という幟を押し立てて全国行脚してください。
(いやみではなく、あなたの論は、それを超えるものではないのです)】


誰もそんなことは言ってはいないでしょ。あなたも自分が勘違いしてますという幟を押し立てているのではないですか?


▼あっしらさん
【設定の場合は緊急避難に当たりますから、親は罪を問われません。
だから、親が死ぬとは説明していません。
全員が餓死するより、活動力を持っている人がその活動力を温存できるようにすることで、ひとりでも多く生き残るほうが合理的だと言っているのです。
どう合理性がないか説明してください。】


設定をするのはいいですが、論点からそれる設定をし、それを強調するため面積を占めていることを問題にしているのですよ。
あなたは、親が死ぬ覚悟で子供を殺しと最初に設定をしているでしょ。それが子供を手放した責任のない人に比べて健全だというから、反論しているのですよ。その条件をはずした設定をしても、論点がずれるだけと言っているのですよ。


▼あっしらさん
【アホか、実際に殺すということではなく、そこまで考える人はいろいろ考えることができると言っているのです。
イヤだ、面倒だ、うっとしい、だからひと(社会や国家)にゲタを預けようとする人は、他の面でもイヤだ、面倒だ、うっとしいになちがちです。
そんな人たちが増殖した社会は悲惨だと言っているのです。】


いろいろ考えるのは結構だが、殺すのは健全ではないと言っているのでしょ。
私に言わせれば、子供を生存させるために無責任に放棄するほうが、よっぽど色々考えているとも思えますよ。少なくとも殺すという決断をした人よりは。
それにそんな人(イヤだ面倒だとしても子供を殺さない人)が増殖した方が社会にとっては、実は理想的だとも言っているでしょ。
それを制限する社会ではなく、それを受け入れる社会を作るべきだとも言っておりますよ。


▼あっしらさん
【それぞれが生んだ子どもは、私のものとして育てる責務があると言っているのです。
あなたの「私物化」は、子どもの自主性を抑圧していること以上のものではありません。
そうであるならば、「公有化」しても、子どもは間違いなく「私物化」されます。
誰か生身の人が子どもの面倒を見るしかなく、育て方は、その社会の価値観に沿った価値観を醸成するものだからです。】


誰が「公有化」しろと言いましたか?「私物化」という表現が間違っていたかもしれませんが、誰の所有物でもないということです。これからは「所有化」としましょうか。ただ私の文章をじっくり読んでいれば、おのずと解ると思いますがね。
「所有化」を無くすということは、子供の自主性は抑圧されません。
ただし、「所有化」しないということが子供の生きる権利を剥奪するものであってはなりません。誰しもが愛情をもって接し、愛情をもって子供に「生きる」為に教育をするということです。


▼あっしらさん
【アホかないな。
多くの家族がなんとかそこそこの生活を維持しているから、子育てを放棄したカスのために所得を削られることにつながるあなたのような論は受け容れないといっているのです。
「財力があれば」などを軽く言うあんたは心底「カス」なのです。】


そういう思想がすべての原因を作っていると感じませんか?
受けいれることができないのであれば、受け入れるにはどうすればいいかを話あえばいいでしょ。討論して感じますがあなたの愛情はかたよりがあるようにのようにも感じます。なんとなくですが。

ついでに言いますと「アホ」「カス」という人ほど「アホ」「カス」と私は思っております。


▼あっしらさん
【私もですが、不自由で束縛を受けた発想と思考しかできないのが、子どもに限らず人だと思っています。
人はそれをできるだけ減少させたいと願っている存在ですが、不自由や束縛を受け容れられなければならない存在であることを理解しなければならないのです。
自由で束縛のない自分になりたいという思いと、不自由や束縛を受け容れられなければならない存在であるという理解のせめぎあいのなかで、いろいろな発想や智恵が出てくるのです。
>あなたは木を見るのに、葉を見て根の方を見ない人ですね。
具体的にどういうことなのか説明してください。】


私も充分存じており、不自由や束縛を受け容れておりますが、不自由や束縛のない概念を知っておくことが大切なのではないですか?それを知ってはじめて不自由や束縛を受け容れていくことが可能だと考えますよ。(余談ですが、あなたのSEX談話に不自由や束縛を受け容れていこうとする節は見受けられませんが。別にあなたの論が間違っているとは言ってはおりませんので)
あなたは不自由や束縛のみに目を向け、人間にとって真に在るべき姿は何かという考えを軽視しているのではないですか?
私は、不自由や束縛を受け容れた、あなたの論がダメだとは一言も言ってはいないですよ。ある側面においては有効だと言っております。あなたは人間にとって真に在るべき姿と考える不自由や束縛のない考えと私が思う私の論を否定し続けているではないですか。
いろいろな発想や智恵というのは、まずはそういったところから発生しなければならないと思い、その過程で不自由や束縛とのせめぎあいが行われるのではないですか?
違う方向を向いたまませめぎあっていても迷子になるだけです。
また私は、あなたの論は人間にとって真に在るべき姿から見るなら適切な行動の枝葉のひとつとは考えてはおります。しかし、それが目先の状況に対処したものなのか、根本の原因を除去するための手段なのかを計り知れております。根本を知らずして対処をすると大きく道をそれる恐れもあります。つまり現在の戦争や殺し(今回のケースは幼児虐待死)という手段がそのひとつであるとも考えます。


▼あっしらさん
【今回であなたが理解している「問題の基」は、「私物化」以外になにも見えないのです。
それを基にしているかぎり、空虚から脱することはできません。】


当然です。あなたが私物化(所有化)が根本の原因であると認めるか、私が納得する根本の原因を提示するかが話される以外は前に進みません。


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