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(回答先: 命を大切にしように異論はないが、リアリティがなく空虚で危険なことばかりを語る人ですね。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 02 日 04:56:43)
あっしらさんこんにちは。
おいおい「リアル」の後は、「リアリティ」ですか。
それに「危険」に「空虚」に「健全」「トンチキ」「合理性」「カス」・・、ですか。
私の論理を空虚だとして片付けてしまうその発想の乏しさ、議論の論点を巧妙にずらしていく論法等々・・・。今後の議論の意味すらも考えさせられます。
リアル、リアルって現実論のみが議論ではないでしょう(そもそもあなたの発言がすべてリアルなものとも思ってはおりませんが)。
当時地球が太陽の回りをまわっているとしたリアリティのない人は議論ができないのですか?
当時量子物理学を発明したリアリティのない人は議論をしてはいけなかったのですか?
「幼児虐待」をなくすという社会構造についての私の発想は、確かにあなたの主観からみればリアリティのない論かもしれません。
ただしリアリティのない話でもあなたの論よりは、「幼児虐待」をなくすことができているのではないですか?
私の話を空虚だ、現実的でないなどと議論から除外しようとするあなたの論法は、私の目からは議論を「勝ち負け」としか判断していないように思えて悲しい気持ちにもさせられます。
▼あっしらさん
【政府の施策や他人がある家族に配慮する範囲は、親が子どもに余裕をもって接することができないような過酷な生活条件をなくすことに全力をあげると同時にそれにとどめるべきだとずっと言っています。】
もちろんそれもある側面においては有効だとしており、また「それにとどめるべきだ」とも私もずっと言っています。勘違いなさらないでください。
▼あっしらさん
【あなたが幼児虐待を一件でも減らしたいと思っているのなら、親が子どもに余裕をもって接することができないような過酷な生活条件をなくすことはそれにつながります。
全員が余裕をもった生活ができる社会でも人殺しはなくならないと考えるのと同じように、生身の人たちが濃密な関係をもっている親子間で暴力沙汰がなくなることはないと思っています。その延長線上として、子殺しも親殺しもあるえます。
それは、いい悪いではなく、感受性や性格が多様な人々のつながりが家族や社会である限り仕方がないことなのです。】
もちろん一件でも減らしたいなら有効だと思います。わたしはあなたの出した具体論が有効ではないとは言ってはおりません。ただすべてに対してはそれのみではたして有効かどうかを言っているのです。
現在、過酷な生活条件で幼児虐待をしている人もいるでしょう。しかしそれ以外もいるといっているのです。日本の場合はそれ以外の方が多いのではないですか?
▼あっしらさん
【(親に殺される幼児が出てきても“運命”であり仕方がないことなのです。それを防ぐことはまずできないし、是が非でも防ごうとしたら、家に権力機構の者や善意の他人が踏み込んでくるというとんでもない世の中になります。それでも、四六時中監視できるわけではないので、虐待も子殺しも起きます。子どもを含めて、人という存在を甘くみちゃあだめです。戦時中の日本でも、今の北朝鮮でも、人々はけっこうしたたかに生きるものです)】
運命なら殺してもいいと片付けてしまう発想のどこにリアルがあるのか私にはわかりません。
またあなたが再三勘違いしていることは、私の“空虚な”論のどこに他人が他人の意志で人の家族に干渉することができると書いてありますか?
▼あっしらさん
【あなたは、後ろのほうで「「ひとの価値観や他の家族関係の在り方に首を突っ込むことが正義だ」と申した憶えはありません」と書いているが、正義ではないと思っていながら首を突っ込んでいる悪党なのですか?
「子供が親の言う事を聞かないことに関してもとやかくは言ってはおりません」って、聞かないからと叩くなと言っているでしょ。
誰か(ゆらぎさん的価値観を持った人)が一軒一軒の家を回り一人ずつ親の価値観や性向をチェックし、この人は幼児虐待をしそうだとか、この人なら子殺しだってやりかねないと判断して、親子を分離するなど何らかの処置を行うべきだと言いたいのですか。
あなたが「子供が言うことをきかない」からと叩く親をやめさせることができるとして、その子どもの行く末について全面的な責任をとることができるのですか?
親は法的に責任をとらされるのですよ。】
私の発想のどこに「一軒一軒の家を回り一人ずつ親の価値観や性向をチェックし、適切に処置をする」と判断できますか?トンチンカンな判断を下すのはよしてください。
私は親の子供に対する価値観(私物化)を変えなければならないとしており、それが達せられれば人は人を私物化しなくなるから、人に対して他人が判断し、処罰をするようなこともなくなると言っているのです。
これがリアルでないなら、少しづつリアルにするためにはどうすればいいかを考えるのではないですか?
▼あっしらさん
【上述しているように、政府が子育て環境でやるべき範囲をやってなお、虐待や子殺しが起きたとしても、罰を適用するだけで他人がわあわあ言うことではないと思っているので、解決など端からめざしていません。
政治権力を持ったゆらぎさんに手出しされるくらいなら、少々の幼児虐待や子殺しは、それを避けるための代償だと思って受け容れたいと思うくらいです。】
私は、他人がわあわあと手出しをすることを良しとはしておりません。
他人が罰を与えることすら根本的には反対なくらいです。
私が再三言っているのは、“自主的な”命の尊重です。
▼あっしらさん
【おいおい、「それは条件にはないと言われれば、そもそものあなたの言われたこと(つまり論点としていること)に問題が生じてきます」だと、ふざけるんじゃない。
あなたのような空虚な論で人々があなたの望むように生きていけるわけがない、リアルな思考に欠けているあなたに、親が合理的な判断で子殺しをしなければならないこともある例を上げたのです。
これは独立した設定だし、現実にもありうる設定だし、歴史的にはそれこそ腐るほど直面した問題なんですよ。
設定の話を読んでいながら、「親はまず裕福な他人や福祉的施設があるなら子供を引き取ってもらうことをまず考えるべき」といったトンチキな対応をする人は、よその家族の親子関係に口出しや手出しをすべきではないと断言する。】
今回の設問を出すこと事体が、論点の巧妙なずらし、と私は判断しております。
また仮にこの設問の条件を見るとしても、あなたは合理的合理的と声高におっしゃっておりますが、そもそもあなたの出した答えのどこにあなたの言う合理性があるのか不思議です。
▼あっしらさん
【飢饉に襲われた共同体にある家族を想定します。
・・・・・
A〜Dのどれが正解という話ではありませんが、とにかく先が見えているのですから、なんらかの判断をしなければなりません。
私は、動けるものが多いほど将来に展望が持てる条件があるのなら、Cを選択するのが合理的だろうと思っています。】
Cを選択して幼い子供2人を殺し、あなたが言うには殺した自分達親も責任をとって死ぬという決断をしなくてはならない。それのどこに合理性があるのか、私にはわかりかねます。
▼あっしらさん
【ひとの文章も理解できないようだし、ほんとうにものごとをリアルに考えられない人ですね。】
あなたも私の文章を理解できておりませんね。あなたの主観的なリアルという殻に閉じこもる議論をなさりたいのですね。
▼あっしらさん
【「どんな形であれ子供を生かす方法をまず考える」人は、「子どもが心底邪魔なら殺して罰を受けるという落とし前の付け方」を合理的に判断できる人でもあるのです。 】
子供を生かすために合理的に判断して子供を殺していたのでは本末転倒だと言っているのですよ。
▼あっしらさん
【「公的機関に泣きを入れてなんとか引き取ってもらう方法」を選択する人は、「子供を生かす方法をまず考える」人ではなく、嫌なこと、うっとうしいこと、面倒なことをひとに押し付ければいいと思うような人なのです。
そういう人は、「自分で子どもを殺して決着を付ける」ことさえできないカスなんです。そのどこが“健全”なのですか。】
それはあなたの主観的なものの見方による判断、決めつけです。
また「自分で子どもを殺して決着を付ける」ことの方が“カス”と私は思っております。
そのカスの行動をなくす為には、私物化という概念をなくす社会作りが大切であるとも言っております。この発言であなたは家族干渉だと仰られるのなら、発想の乏しさすら感じます。
▼あっしらさん
【「公的機関に泣きを入れてなんとか引き取ってもらう方法」の方がより“健全”な落とし前のつけ方だと思うのなら、あなたがその費用と子どもの面倒を見てください。
(念のため、嫌なこと、うっとうしいこと、面倒なことをひとに押し付ければいいと思う人の子どもだけがその対象です。親の不在や身心条件で子育てができない親の子は対象ではありませんからお間違いなく)
いろんな子どもの面倒をみることで、子どもが“危険な存在”だと弁えていなければとんでもないことが起きることもわかるはずです。】
私に多くの子供を見る財力があればいつでも歓迎しますよ。(笑)
また、それを見ることのできる施設があれば私のできる範囲で寄付も致しますよ。(していますがね)
また、色々な子供を知っておりますが、子供は“危険な存在”だとは思っておりませんよ。自由な、束縛のない、発想のできる子供だと感じることはできませんか?
▼あっしらさん
【「自国に外人を自由に受け入れることが理想であり、健全だと思う」人は、寄生者と同類の価値観だと思っています。はっきり言えば、最悪の支配者の片棒かつきです。
そのような価値観をお持ちなら、日本に自由に入ってきた外国人の面倒を全面的に見てくださいねとは言いませんが、そのような外国人に暴行を加えたり外国人を虐殺するような事件が起きたときは強い自責の念を感じてください。
間違っても、ひどい日本人がいるなどと犯行者を非難してよしとしないでください。
残りのあなたのあれこれは、空虚で実効性もない(将来は別として現実の多数派が受け容れることはない)ものの繰り返しで、それなら、あなたがその費用と子どもの面倒を見てくださいと応えるか、「命は何よりも大切です。子育てに困っている人は役所に行こう!」の幟を持って全国行脚してくださいとしか言いようがないものなので省略させていただきます。】
あなたは木を見るのに、葉を見て根の方を見ない人ですね。
私は、しっかりとその問題の基となるものを把握し、空虚と言われようがその解決法を考え、議論し、後に現実の多数派が受け容れることのできるものとするには、どうすれば良いかを検討していくようにしております。
あなたのように最初から多数派が受け容れる対処法を考えていたのでは、大きく道をそれる可能性も考えられます。
思い込み・決め付け・過去へのこだわり等をすてたものの見方を、空虚と片付けてしまう議論を続けようとなさるのなら、それもひとつの議論だとは思いますが、残念ですがこの問題における議論はひとまず終了させていただくことになるのかもしれません。