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(回答先: Re: リアルとは?、覚悟とは? 投稿者 ゆらぎ 日時 2004 年 7 月 02 日 02:19:01)
ゆらぎさん、どうもです。
ひとの命はひとつだけでも自分が背負いきれるものではないことをまず分かってください。
その後から、あなたが問題だと思っていることについて、解決ではなく少しでも減らす方策を考えてください。
私もそうですが、あなたも含めて、人がひとにできることなんて高が知れているのです。
>それは日本国民で働くべき立場で働ける人が相応の報酬を得ることのみで解決する問
>題とも思えず、とても具体論とは言えないと思います。
>その親の年収をある程度あげても、それらの問題を解決することはできますか?
「その親の年収をある程度あげても、それらの問題を解決することはできますか?」って、誰が年収をあげればいいと言いました?
ふざけた要約はやめてください。年収を増やしたい(増やした)ために、身心を痛め子どもを虐待している親がいることだって知っています。
政府の施策や他人がある家族に配慮する範囲は、親が子どもに余裕をもって接することができないような過酷な生活条件をなくすことに全力をあげると同時にそれにとどめるべきだとずっと言っています。
それ以上は、ここでやっているような非権力的かつ非強制的な親子をめぐる議論で人々の価値観や世界観が変わることを期待するしかできないのです。
あなたが幼児虐待を一件でも減らしたいと思っているのなら、親が子どもに余裕をもって接することができないような過酷な生活条件をなくすことはそれにつながります。
全員が余裕をもった生活ができる社会でも人殺しはなくならないと考えるのと同じように、生身の人たちが濃密な関係をもっている親子間で暴力沙汰がなくなることはないと思っています。その延長線上として、子殺しも親殺しもあるえます。
それは、いい悪いではなく、感受性や性格が多様な人々のつながりが家族や社会である限り仕方がないことなのです。
(親に殺される幼児が出てきても“運命”であり仕方がないことなのです。それを防ぐことはまずできないし、是が非でも防ごうとしたら、家に権力機構の者や善意の他人が踏み込んでくるというとんでもない世の中になります。それでも、四六時中監視できるわけではないので、虐待も子殺しも起きます。子どもを含めて、人という存在を甘くみちゃあだめです。戦時中の日本でも、今の北朝鮮でも、人々はけっこうしたたかに生きるものです)
>つまり現に裕福な家庭においても幼児虐待は行われており、子供は平気で殺されてお
>ります。
>それは子供が言うことをきかない、連れ子だから、等の親の一方的な意志に基づいて
>行ったものが多いです。
>だから裕福な日本国民においても幼児虐待死が問題となっているのではないでしょうか。
>それらを解決する、子供を生むことを制限しないという具体論を示してください。
あなたは何をどうしたいのですか?
あなたは、後ろのほうで「「ひとの価値観や他の家族関係の在り方に首を突っ込むことが正義だ」と申した憶えはありません」と書いているが、正義ではないと思っていながら首を突っ込んでいる悪党なのですか?
「子供が親の言う事を聞かないことに関してもとやかくは言ってはおりません」って、聞かないからと叩くなと言っているでしょ。
誰か(ゆらぎさん的価値観を持った人)が一軒一軒の家を回り一人ずつ親の価値観や性向をチェックし、この人は幼児虐待をしそうだとか、この人なら子殺しだってやりかねないと判断して、親子を分離するなど何らかの処置を行うべきだと言いたいのですか。
あなたが「子供が言うことをきかない」からと叩く親をやめさせることができるとして、その子どもの行く末について全面的な責任をとることができるのですか?
親は法的に責任をとらされるのですよ。
上述しているように、政府が子育て環境でやるべき範囲をやってなお、虐待や子殺しが起きたとしても、罰を適用するだけで他人がわあわあ言うことではないと思っているので、解決など端からめざしていません。
政治権力を持ったゆらぎさんに手出しされるくらいなら、少々の幼児虐待や子殺しは、それを避けるための代償だと思って受け容れたいと思うくらいです。
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▼あっしらさん
【飢饉に襲われた共同体にある家族を想定します。
家族は、両親・子ども3人・子どもの祖父母の7人構成だとします。
頑張っても手に入る食糧は限られており、7人が1食でさえ腹5分になる程度です。
このような状況がしばらく続くと、誰も身動きができない状態になると予測できます。
誰も身動きできなくなれば、食糧を探しに行くこともできなくなり、次の収穫に向けての農作業もできません。
【選択肢】
A:家族がみんなが食糧を分け合いながら誰も動けなくなったら飢え死にするのをじっと待つ。
B:智恵もそこそこ体力もある祖父母は長く生きてきたのだから、犠牲になってもらう。(姥捨山と同じですね。自分の下の世代が生き延びるために口減らしとして死にゆく)
C:子どもはひとりは祖父母並みには動けるが、他の二人は幼いので役に立つことはできないから、幼い子ども二人を親が殺す。
D:両親は、せっかく生まれた子供たちには未来があり祖父母にも深い恩義があると考え、自分たちが死を選択した。
A〜Dのどれが正解という話ではありませんが、とにかく先が見えているのですから、なんらかの判断をしなければなりません。
私は、動けるものが多いほど将来に展望が持てる条件があるのなら、Cを選択するのが合理的だろうと思っています。】
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>ちなみに、どれも最善の策ではなく、親はまず裕福な他人や福祉的施設があるなら子
>供を引き取ってもらうことをまず考えるべきです。
>それは条件にはないと言われれば、そもそものあなたの言われたこと(つまり論点と
>していること)に問題が生じてきます。
おいおい、「それは条件にはないと言われれば、そもそものあなたの言われたこと(つまり論点としていること)に問題が生じてきます」だと、ふざけるんじゃない。
あなたのような空虚な論で人々があなたの望むように生きていけるわけがない、リアルな思考に欠けているあなたに、親が合理的な判断で子殺しをしなければならないこともある例を上げたのです。
これは独立した設定だし、現実にもありうる設定だし、歴史的にはそれこそ腐るほど直面した問題なんですよ。
設定の話を読んでいながら、「親はまず裕福な他人や福祉的施設があるなら子供を引き取ってもらうことをまず考えるべき」といったトンチキな対応をする人は、よその家族の親子関係に口出しや手出しをすべきではないと断言する。
▼あっしらさん
【極端なことを言えば、子どもが心底邪魔なら殺して罰を受けるという落とし前の付け方もあるということです。
むろん、その幼児と家族をまともに形成していくことができないと判断したら、公的機関に泣きを入れてなんとか引き取ってもらう方法もあるでしょう。
しかし、そんな落とし前の付け方が“健全”なのでしょうか?
ひとさまが生んだ子どもの面倒を国家機構が見るために、増税などの公的負担が増加することを多数派が受け入れるでしょうか?】
>私は、子供を殺すという選択肢の前に、どんな形であれ子供を生かす方法をまず考え
>るべきだと言っております。その考え、つまり「公的機関に泣きを入れてなんとか引
>き取ってもらう方法」の方がより“健全”な落とし前のつけ方と言っているのです。
ひとの文章も理解できないようだし、ほんとうにものごとをリアルに考えられない人ですね。
「どんな形であれ子供を生かす方法をまず考える」人は、「子どもが心底邪魔なら殺して罰を受けるという落とし前の付け方」を合理的に判断できる人でもあるのです。
「公的機関に泣きを入れてなんとか引き取ってもらう方法」を選択する人は、「子供を生かす方法をまず考える」人ではなく、嫌なこと、うっとうしいこと、面倒なことをひとに押し付ければいいと思うような人なのです。
そういう人は、「自分で子どもを殺して決着を付ける」ことさえできないカスなんです。そのどこが“健全”なのですか。
「公的機関に泣きを入れてなんとか引き取ってもらう方法」の方がより“健全”な落とし前のつけ方だと思うのなら、あなたがその費用と子どもの面倒を見てください。
(念のため、嫌なこと、うっとうしいこと、面倒なことをひとに押し付ければいいと思う思う人の子どもだけがその対象です。親の不在や身心条件で子育てができない親の子は対象ではありませんからお間違いなく)
いろんな子どもの面倒をみることで、子どもが“危険な存在”だと弁えていなければとんでもないことが起きることもわかるはずです。
>つまり自国に外人を自由に受け入れることが理想であり、健全だと思いますが、その
>国の政府の決定した意志を他国の政府が自国の論理を押し付け、相手国(政府)の自
>由意志に制限つけることは健全ではないと考えております。
「自国に外人を自由に受け入れることが理想であり、健全だと思う」人は、寄生者と同類の価値観だと思っています。はっきり言えば、最悪の支配者の片棒かつきです。
そのような価値観をお持ちなら、日本に自由に入ってきた外国人の面倒を全面的に見てくださいねとは言いませんが、そのような外国人に暴行を加えたり外国人を虐殺するような事件が起きたときは強い自責の念を感じてください。
間違っても、ひどい日本人がいるなどと犯行者を非難してよしとしないでください。
残りのあなたのあれこれは、空虚で実効性もない(将来は別として現実の多数派が受け容れることはない)ものの繰り返しで、それなら、あなたがその費用と子どもの面倒を見てくださいと応えるか、「命は何よりも大切です。子育てに困っている人は役所に行こう!」の幟を持って全国行脚してくださいとしか言いようがないものなので省略させていただきます。