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(回答先: 矛盾点 投稿者 ゆらぎ 日時 2004 年 6 月 30 日 16:30:34)
ゆらぎさん、どうもです。
>質問ですが、子供を殺さずに公的機関に引き取ってもらう方法が「何に」対して“健
>全”ではないのでしょうか?
>文脈から読み取ると、社会の多数派にとって“健全”ではないということのようです
>が、確かに現在の社会では、公的機関が子供の面倒を見るための負担を受け入れるこ
>とは社会にとって“健全”ではないと判断する方が多数派かもしれません。
>しかし、本当に“健全”ではないのでしょうか。
まず、家族(とりあえず個人でも可)が自存的で実体ある基本単位で、家族相互の関係性として成立するものが社会や国家であるべきという認識を持っていることをご理解ください。
そして、親は生んだ子どもを養育する責任があり、子どもは、たとえ自分の家族に満足していないとしても親のもとで育つべきだとも考えています。
愛情に満ちた親から受ける慈しみだけではなく、親子のあいだで時として生じるぎくしゃくした関係も、子どもが成長していく糧になると思っています。
施設で仕事として“規格”的に育てられるよりも、そのほうが好ましいと考えています。
“健全”ではないというのは、前述の考え方から、両親が死亡したとか身心条件の不全で子育てができないときに国家機構を含む他者がその子(ら)の養育を行うのならいざしらず(そのようなときでも祖母や祖父などが進んで引き受ける場合が多いでしょう)、他者がある親の子育てに難があると判定して親子を引き離すことは好ましくない考えているからです。
英国では、これまで幼児虐待の判定(判決)を受け親子が引き離されたケースのうち、200〜300件は誤った虐待認定であったことがわかったと報じられています。
幼児から少年期にかけての数年から十数年、親子が国家機構の判断で無理やり引き離されていたのです。
日本の報道を見ていても、幼児虐待の悲惨さや非道さに引っ張られ、親を鬼畜扱いする傾向が強いと思っています。
家族のなかの微妙な関係性や子どもの振る舞い、そして、親が社会的に置かれている状況などはほとんど捨象され、親を鬼畜扱いしないとしても、自制心が足りない精神的に問題を抱えた親という見方をされています。
(新聞報道レベルの情報で、子どもに同情を寄せるのは理解できるとしても、親を鬼畜のように考える人には首を傾げたくなります)
親子とは言え生身の人間同士の関係ですから、ときには、ムッとしたりいたついたりするでしょう。
ひとから見れば「なんでそんな程度で殴るの?」ということでも、家族が生きていくために辛くイヤな仕事に長時間従事する日々で醸成された鬱屈や将来がどうなるかも展望できないまま不安を抱えて嵩じるイライラに苛まれている人なら、言うことを聞かなかったり泣き通しの子どもに感情を噴出させて手を出すことは、それほど異様ではないと思っています。
手を出すこともあるけど愛すべきいとおしい子どもを奪われた親の気持ちや、時には叩かれるけれども、大好きな親から引き離された子どもの気持ちをもっと想像すべきだと思っています。
>虐待されている子供は助けることができなくても当人同士の問題だ。
>そこに生まれてきてしまった子供は運命だから、極端なことを言えば親が責任をもっ
>て殺してもやむなしであり、世間の多数派はその子供の面倒を見ることは国の負担が
>かかると言っており、同じ日本に生まれた人間ではあるが親が責任をもって殺すこと
>が社会にとって“健全”であると。
「子どもが心底邪魔なら殺して罰を受けるという落とし前の付け方もある」というのは、死刑や無期懲役もあるのですから「殺してもやむなし」というニュアンスではなく、うっとうしいとかお金がかかるとか面倒を見切れないからといって“社会”や“国家”に子育てのゲタを預けるのではなく、「自分たちが生んだ子どもにきっちり責任を取る」ということや「覚悟をもって子どもを育てろ」というのが趣旨です。
幼児虐待は聞くに耐えない、そのような可愛そうな子どもは社会や国家が引き取って育てるべきだという気持ちはわからないではありませんが、それよりは、「自分たちが生んだ子どもにきっちり責任を取る」ことができるだけ可能な社会構造をつくっていくほうが理に適っていると考えています。
多数派の判断はともかく、個人的には自分の納税分の一部がそのような子育てに使われても構わないとは思っていますが、それが「善」であるとは思いません。
「オレたちに負担させるのではなくテメエらが責任を果たせ!」という判断のほうがまだ健全だと思っています。
(それと虐待される子どものことを考えるといたたまれないという思いとの角逐が、国家社会がなすべきことが何かを見出すことにつながると思っています。虐待される子どもは公的機関が面倒を見ればいいでは解決策は生まれてこないと考えています)
>私が思うに、あっしらさんの発言の矛盾点はここではないかと思われます。
「幼児虐待問題」と「イラク人質問題」は同一次元で論じられないものです。
日本国民が外国で人質になり日本政府に要求を突き付けたときには、日本政府はもてる智恵と力を使って人質を無事に解放させる責務があります。
「幼児虐待問題」に関して言えば、日本政府は、虐待される幼児を引き取ることではなく、幼児虐待が社会的経済的要因で起きることをできるだけ除去することが責務です。