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(回答先: 幼児虐待と『テメエらで落とし前を』 投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 29 日 22:52:49)
横レスすみません。
あっしらさんこんにちは。
▼あっしらさん
【またまた罵倒を浴びそうなのでビビッていますが、極端なことを言えば、子どもが心底邪魔なら殺して罰を受けるという落とし前の付け方もあるということです。
むろん、その幼児と家族をまともに形成していくことができないと判断したら、公的機関に泣きを入れてなんとか引き取ってもらう方法もあるでしょう。
しかし、そんな落とし前の付け方が“健全”なのでしょうか?
ひとさまが生んだ子どもの面倒を国家機構が見るために、増税などの公的負担が増加することを多数派が受け入れるでしょうか?】
質問ですが、子供を殺さずに公的機関に引き取ってもらう方法が「何に」対して“健全”ではないのでしょうか?
文脈から読み取ると、社会の多数派にとって“健全”ではないということのようですが、確かに現在の社会では、公的機関が子供の面倒を見るための負担を受け入れることは社会にとって“健全”ではないと判断する方が多数派かもしれません。
しかし、本当に“健全”ではないのでしょうか。
私が思うに、あっしらさんの発言の矛盾点はここではないかと思われます。
イラク人質問題で、当時あっしらさんはニュアンス的にこのような感じのことを言っておられたように記憶しております。(思い違いでしたら申し訳ございません)
日本人の人質の命を助けることが優先される。
世間の多数派は、人質は自己責任であり救出には国の負担がかかる為殺してもやむなしと言ってはいるが、なんとか人質の日本人を助けるべきだ。
人質を解放させることが優先されることであり、日本にとってそれは“健全”なことであると。
(あくまでもニュアンス的です)
あっしらさんは、今こう言っておられのではないでしょうか。
虐待されている子供は助けることができなくても当人同士の問題だ。
そこに生まれてきてしまった子供は運命だから、極端なことを言えば親が責任をもって殺してもやむなしであり、世間の多数派はその子供の面倒を見ることは国の負担がかかると言っており、同じ日本に生まれた人間ではあるが親が責任をもって殺すことが社会にとって“健全”であると。
違いましたか?
2つの問題は状況は違えど、根本的な問題は一緒だと把握しております。