現在地 HOME > 社会問題1 > 416.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: (政策議論) 公務員給与の総枠制を定めよ 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 6 月 11 日 13:48:10)
>ODA ウォッチャーズさん レスどうもです。
しかし、間違った考え方のようです。
主張の核は
【早くから警告が発せられていたのに、暢気に放漫財政と既得権の保持・増強に熱心だった公務員諸君は、今となっては、より大きな痛手を蒙る処置でないと、財政は改善しません。】
と言う事です。
公務員労働者は【暢気に放漫財政と既得権の保持・増強に熱心だった】のでしょうか?
一部の上層階級(管理職)などにはそのような面もあったかもしれませんが、一般的な職員の「既得権」とはどのような事でしょう?
仮にODA ウォッチャーズさんの論法が正しいとした場合、公務員の放漫財政を許した責任は「国民全体責任」か「公務員経営陣」のどちらかになります。
福祉の無限増大を求めたのは「国民全体」であり、それを許したのは「公務員経営陣」でしょう。中間ので板挟みになっていた一般公務員労働者にしわ寄せを押しつける様な意見は間違っているでしょう。
日本では職業選択の自由があり「民間企業への就職も、公務員への就職も自由」です。
Kは【公務員は尊敬】されるのは間違いだと思っています。
彼らは職業の選択過程で「公務員を選んだだけ」です。試験の競争率もありますが、他の同種の業種との比較で極端に安くする事は「差別思想」でしかないでしょう。ただし、公務員には「安定」という要素があり、それを勘案すれば多少の低賃金も仕方がないという面もあります。そして今現在の賃金は「安い」のです。
例えば、国立系病院の医師と開業系の医師の収入は桁が違うのです。
しかし、それは職業選択の結果の自己責任との考察は正しいでしょう。確かに多くの公務員は「悪いことをしない限り、安いけど安定した収入」を選んだ訳です。
「太く短くの人生を選んだ人」もいれば「細く長くの人生」を選択した人もいます。
蟻とキリギリスの話ではないですが「太く短く」の人生を選んだ人が自分達の状況があやしくなったので「蟻の貯めた食料をみんなのために拠出させよう」という論法は、恥ずかしい論法でもあるでしょう。
それとも「働き者の蟻さんは【尊敬】のために犠牲になってください」とでも主張するのでしょうか?
最初にあったルールが自分たちに都合が良ければ押し通し、悪くなれば反故にするでは、人間として恥じるべきだと思います。
しかし、実際に「国家破産」は現実的問題ともなってきています。緊急回避的に多少卑怯でも公務員にしわ寄せが行くのは仕方がない。という側面はあるでしょう。
しかし、それはどう転んでも「自分にとって影響が少ないだけの生活者虐め」になり、時間差で自分に跳ね返って来るのです。公務員虐めの(一律的な)承認は「福祉切り捨て・増税路線」の承認になるからです。
勿論、無駄な部門や癒着利権構造にはメスを入れなければいけませんし。仕事もせずに高給を貰っている人もいるでしょう。そのような人を擁護する気もありません。
「問題がある事の改善と一律の処分」は全くの別次元の問題なのです。