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「敗戦責任」とは何か
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/221.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 24 日 22:11:21:Mo7ApAlflbQ6s


あっしら:『北朝鮮を擁護してください(笑)。また天皇の「戦争責任」という言葉も熟慮して使ってください』
http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/740.html

戦争屋は嫌いださん:『Re: 天皇の「戦争責任」は否定できない』
http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/750.html

に続くものです。
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戦争屋は嫌いださん、こんばんわ。

まず、「統帥大権を保有し統治権を総覧していた天皇にあるのは「敗戦責任」だけです。これは、天皇に限らず、天皇を輔弼していた統治機構上層部すべてにも言えることです」と書いたように、天皇免責ではなく、天皇を含む戦前の国家統治者の有責を主張しています。
責任論の切り口が、あくまでも「敗戦責任」であって、「戦争責任」ではないということだけです。

なぜそのような神学的問題を持ち出すかと言えば、ご存知のように、戦前・戦中の国策を否定する立場と擁護(肯定)する立場に分かれており、後者に対して「戦争責任」論を持ち出しても議論が成立しないからです。

しかし、日本が敗戦し6年余の占領支配を受けたことは現実であり、その過程で憲法をはじめとした法や政治社会制度の変更を強いられたのですから(内容の善し悪しは問わない)、国家をそのような外国支配に陥れた責任は厳然として存在します。
そのようになった原因は敗戦にあるのですから、「敗戦責任」であれば、共通の議論が成り立つはずだと考えています。

(もちろん、外国の占領支配によって日本は良くなったのだから結果OKという人たちもいるでしょうが、そのような人たちは国家の独立だとか主体性といったことを放棄しているわけですから、国家の責任論を論じる場に加わる必要はありません)

そして、「敗戦責任」問題を突き詰めていけば、否応なく戦争責任もあきらかになるのですから、「戦争責任」も問われることになります。

※ 日本の「敗戦責任」問題を突き詰めていけば、「近代」そのものの責任問題も明らかになるという期待を秘めていますが、それは措いておきます。


>太平洋戦争そのものは帝国主義列強間の戦争であって、遅れはしたが宣戦布告もして
>いるので戦争中の皇軍の残虐行為を除けば、米英と日本の間にどちらが善でどちらが
>悪ということはありません。(米英の謀略による誘導があったことも間違いない)

戦時国際法違反はあくまでも戦時国際法違反ですから、いわゆる「戦争責任」ではありません。


>ただしその前から始まっていた満州事変、満州事変は宣戦布告の無い侵略行為で、今
>回米国がやった9・11と同様に、柳条湖事件、盧溝橋事件といった爆破事件をでっ
>ち上げて戦争をふっかけたものです。その間にも民間人の虐殺があったこともあり、
>弁解の余地はありません。もちろん米英ともさんざん同様の侵略はやっているが、だ
>からといって天皇を頂点とした日本の統帥部が免責となるわけではありません。(東
>京裁判の欺瞞性は別問題である。本来状況が許すなら日本国民が天皇を裁くべきで
>あった。マッカーサーは政略・統治上の便宜のために天皇を免責にしたのである)

シナ事変ときっかけとなった盧溝橋事件はともかく、張作霖爆死事件と柳条湖事件という満州事変につながる事件は、確かに日本現地軍の陰謀です。(上海での僧侶殺人事件など自国民を犠牲にする謀略などさまざまな画策がなされています)

ここで、満州事変やシナ事変が現地軍司令官が独断専行で突っ走ったもので、参謀本部や政府は抑えようとしたのだから、天皇・統帥部・内閣には責任がないと主張するつもりはありません。
なぜなら、満州事変は、現地軍が収めた戦果を既定事実として満州国建国まで進められ、当時の司令官や参謀は、勝手に軍を動かしていながら(朝鮮駐留軍まで動員)、罪を問われるどころか称賛の対象となっています。
(石原莞爾は参謀本部作戦課長から作戦部長へと栄達しています。国民も、彼らの偉大なる業績を歓呼の声で称えています。指揮者として有名な小沢征爾氏の名は、当時の関東軍参謀であった板垣征四郎の“征”と石原莞爾の“爾”から採られたものです)

上述したように、「天皇を頂点とした日本の統帥部が免責となる」とわけではなく、「敗戦責任」論議を通じて、満州事変や対中国政策さらには日清・日露の戦争そして韓国併合といった政策まで俎上にのぼり、その意味性・是非・責任が問われると考えています。

「本来状況が許すなら日本国民が天皇を裁くべきであった」という過去形では考えていません。現在でも、日本国民が天皇を含めて「敗戦責任」を裁くべきです。

責任を問う重要な要素として、責任が明確になった個人に罰を与えることが含まれているとは思っていますが、国策の問題では、国民が共通の責任認識(何がどう悪かったかという)を持つことに最大の意義があると思っています。

人格的責任ではなく、論理的責任が重要だと考えています。


>天皇は事実上統治能力がなく軍部に抵抗できなかったという言訳も、2・26事件の
>際、陸軍の中枢部がすぐに鎮圧に動かなかったのを見て、「朕自ら近衛師団を率いて
>鎮定にあたらん」などと勇ましいことを言った実績があり、戦後の平和的イメージと
>は裏腹に、昭和天皇が軍統治の意思も能力もあったことは間違いありません。(戦前
>の天皇の写真を見ると軍服を着て馬にまたがった勇ましいものが多い) 従って昭和
>天皇には単に敗戦責任のみならず戦争責任があったといえます。

昭和天皇は、敗色が濃くなり東條英機が首相を辞任するとき、「私の戦争指導を支えてくれて感謝する」(趣旨)という勅語を発しています。
昭和天皇は、きちんと天皇大権を自覚して統治権を総覧していました。

昭和天皇がどの戦争に責任があるかは、「敗戦責任」の論議を通じて明らかになるはずです。
もちろん、戦争には責任がなくとも、戦後処理に責任がある(例えば満州事変)ということもあり得ます。

さらに言えば、“一億総懺悔”ではなく国家指導層やマスコミの責任は特段だが、国民にもそれなりに責任があるという話にもなるかもしれません。


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