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(回答先: 「弱きが故の戦い」 投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 28 日 21:28:07)
あっしらさん、スパルタクスさん、
一寸だけコメントさせてください。
まず軍需産業各社は当時は三菱本社、三井合名、住友本社といった財閥の持株会社(戦後ながらく禁止された)の傘下にあって、独立法人というよりは一種の軍需事業部であった経緯があります。ですから当時の軍需産業を本社と切り離して考えることは難しいでしょう。三井も三菱も間違いなく侵略による資源獲得には積極的であったし、前にも言及したように、中国大陸への侵略などは当時の三井物産の幹部が「この戦争は三井が起こした。」と言っていた事実があります。(事実はそんな単純なものではなかったと思われるが、当然戦略企画の段階からめいっぱい関与していたことは間違いない)。それに、これも言及しましたが、軍部に対して財閥からは賄賂が送られるなど、強力な癒着があったことも間違いありません。要するに当時は三菱重工などの軍需産業が直接戦争を企画・立案したというより、財閥の司令部である持株会社(ないし三井物産など商社)の幹部がこれに関与していたということです。
日清・日露・第一次大戦、日中戦争、太平洋戦争と続く時代、特に日中戦争以降の日本経済は完全に戦時型経済に変貌し、満州事変以降の10年余で日本の軍艦建造トン数は10倍以上、戦車の製造台数は200倍以上の伸びを見せ、同時に三菱重工の資本金は20倍ちかくにも超高度成長した実績があります。一旦戦争経済に傾斜してしまうと、民生型経済に軌道修正するのは大変なことです。必然的に戦争の継続を願うことになるのは、今のアメリカの軍産複合体と変わることはありません。あっしらさんのコメントにあるように「そんな金食いの戦争をする余裕が日本にないことは、当時政府も軍部も理解していた」でしょうが、共に空前の財政難をかかえる米国・英国が、兆単位でカネのかかる今般のイラク侵略に乗り出したのを見てもわかるように、彼らは国家の財政が破綻してもいいから、軍需産業をはじめとする財閥の利益を優先するのです。それは彼らが実際は国民の代表(そのふりはしているが)などではさらさらないからです。まあ戦争を一種の公共事業・景気刺激策とみなす、ケインズ的経済政策という位置づけもちろんあるのかもしれないが。
戦争経済では一時的に軍縮を飲まなければならない困窮した状態にあっても、基本的には戦争・侵略によって資源を略奪するなどして、経済の拡大を図り軍備を拡張する方向に走ります。これはワシントン会議で一時的に建鑑競争をストップした後も、軍縮の動きが継続せずむしろさらに加速し、ついには大和・武蔵(文字通り世界最大であった)といった超巨大戦艦まで建造した事実を見ても明らかです。また科学技術の水準が欧米より低かったのも事実ですが、技術水準が低いからといって軍需産業への傾斜にブレーキがかかったわけではありません。戦車、戦闘機、空母などいずれにおいても、戦争中期以降は彼我の技術力の差は開く一方でしたが、それでも兵器の生産(特に航空機)には一層拍車がかかり(最後は木造の戦闘機まで建造していた)、それゆえ民生をあれだけ圧迫したわけです。
おまけに死の商人の例に漏れず各社とも水増し価格をチャージできた(もちろん賄賂の見返り)いた関係で、利益率は民生産業とは比較にならなかったはずです。(国家総動員体制後は確かに利益率の管理が行われたかもしれないが、軍需産業に対する監査が甘かったことは悪名高い。)砲弾の加工賃など民間の兵器産業に委託した場合、軍内部の工廠で作業した場合の4倍のコストがチャージされているなど、相当いい加減な状況だった実情があります。
日米開戦を各財閥が望んでいたかという問題については、特に商社などでは米英、特に米国の強大な生産力を知っている関係者も少なくなかったでしょうから、前面衝突は可能な限り避けたいと思っていたことでしょう。ただしハルノートが出状されて以降は、米国の条件を飲むことは財閥の既得権を放棄する(即ち巨額の損失)を意味した関係で、もう後に引くことはできなかったでしょう。山本五十六が言っていたように、最初の6ヶ月で米太平洋艦隊を壊滅させて早期講和に持ち込む、というシナリオを信じた(信じようとした)といったところでしょう。一旦日米激突の方向で走り始めた後は、日本の組織特有のボトムアップ・稟議(攻めの時はいいが、守り・撤退の意思決定になるとまるで無力となる)による意思決定で責任の拡散が行われて、事実上の完全な無責任状態で戦線拡大が行われました。1942年のミッドウェー海戦で大敗して以降、事実上敗戦は決定的であったにも拘わらず、その後3年間の長きにわたってexitを全く想定していない粗雑な戦略が次から次へと裏目に出て、最後は原爆投下・敗戦に至るわけです。
それでも経営者が戦犯として投獄されたドイツの兵器産業クルップなどと違って、日本ではついに財閥関係者は軍人を楯にして逃げ切った経緯があります。三井も三菱も誰一人として逮捕されていません。だから懲りることがないのです。
はっきり言えば「戦争はぼろい」「戦争は儲かる」「(グリコではないが)戦争は一粒で3回おいしい。(軍需産業・石油利権・復興利権、特に今回のイラクの場合)」のです。だから当時の日本同様、第二次大戦で完全に戦時型経済に転換してしまった米国は、「10年に一度戦争をやらないと経済がもたない。」などといわれ、終戦後は専らソ連との冷戦を演出し、ベトナム戦争を遂行し、冷戦が歴史的展開で終焉を迎えると今度はイスラムとの軋轢を演出して、工場のラインをストップさせないよう、必死で頑張るわけです。「一度戦争で甘い汁吸ったら他の商売なんてかったるくてやってられるか。」と思っている人々がこの世にいる限り、戦争はなくなりません。「戦争は非道い、絶対やってはいけない。みんながひどいめにあう。」、と関係者全員が噛みしめない限り根絶できません。
ベトナム戦争で不名誉な撤退を強いられた米国で一時期、「何であんな愚かな戦争のめりこんでしまったんだ?」とか「何一つ良いことはなかった。」などと盛んに言われましたが、これは大ウソです。軍需産業と幹部将校(それも戦場に動員されることなく後方で作戦指導に専念していたエリート)にとって、ベトナム戦争ほどおいしい事件はなかったはず。兵器産業は9年間の戦争で数十兆円の収益を上げたとも言われている一方、職業軍人・高級将校は大量の徴兵のおかげでスピード出世した者もすくなくないからです。(実はこれは第二次大戦中の米軍では特に顕著で、航空隊など20代で大佐(普通は40代後半)に昇進するケースまで散見された由)
死の商人を唾棄すべき存在とする私の基本理念は、もう何十年も前のことですが、「一銭五厘の赤紙」で召集された兵隊には文字通り雀の涙の給与が支払われるだけで、事実上無償でひとつしかない命を差し出すことが要求される一方で、軍需産業は武器を供給するのに「お国のために利益は度外視して」武器を供給するのか、とばかり思っていたら、それどころかたっぷり利益を乗せて金儲けする、という事実を発見して以来のことです。