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(回答先: 石原莞爾について 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 10 月 27 日 20:59:41)
マルハナバチさん、こんにちわ。
戦前に限定せず、昭和・平成を通して今なお活力を保ち、その有効性と限界性の再検討がなされるべき思想家は北一輝と石原莞爾だと思っています。
(もちろん、不勉強の私が向かい合っていなかったり書き物に残さなかった人のなかでそれにふさわしい人も数多くいるはずです)
“下世話”な言い方をすれば、マルクス−レーニン主義が地に落ちようが、ケインズ主義が活力を失い新古典派が脚光を浴びようが、彼らの思想は依然として輝き続けています。
彼らに対する共通的評価は、きわめて現実的であるということです。
基底には慈悲・慈愛・人道・正義などといった心性(現実に対する憎悪と理想)があるのですが、それをそのままぶつけて現実を批判するのではなく、現実と理想が乖離している所以を明らかにし、理想を現実化する過程を“可能的”に提示したことを高く評価しています。
彼らは共通して、マルクスほどの論理体系を構築していない、より厳しく言えば、近代の経済論理を把握しきれていないという“弱点”を抱えていますが、それを補ってなお余りある根源的理解と現実的解決を示していると思っています。
北一輝の『国体論及び純正社会主義』は、新古典派が新自由主義やグローバリズムという価値観や政策に結びついている現状をそのまま鋭く批判するものです。
(20年以上ぶりに通読しましたが、経済論理はともかく、思想的には100年前に書かれたあれに優るものはないかもしれません。国体論(批判)は、敗戦により歪なかたちで実現されてしまったので、歴史的遺物になったと言えますが、その論旨はみごとです)
石原莞爾は、「最終戦争論」でよく知られていますが、「新日本の建設」の現在的有効性で輝きを放っていると思っています。
(産業資本制近代が行き詰まりを見せているなかで、都市解体・国民皆農・農工一体という彼の提示は、反動やアナクロといって嘲笑されるべきものではなく、それから60年近く経った今こそ歴史的補強がなされるものだと思っています。「新日本の建設」も15年ぶりで通読しましたが、私の「開かれた地域主義」との類似性に今更ながら驚きました)
北一輝→石原莞爾というつなぎで、現実に対抗し(北)、終焉を余儀なくされる産業主義近代の合理的継承(石原)が可能だとも言えます。
二人には強い差異性もありますが、歴史的日本でしか生み出ることがなかったということは共通しています。
欧米崇拝=劣等意識が、二人の思想や理論を狭隘な空間に押し込めていると思っています。
(私もそうでしたが、多面的な関心を持たれているマルハナバチさんが、「何か右翼国粋的ロマンチスム(笑)とか、神話的擬似サイエンスとか、引っ付いているのは嫌だという」という思いをもたれるくらいですからね)
2・26事件連座という最後であったとはいえ在野の革命家であった北一輝と異なり、参謀本部作戦部長という要職幕僚を努めた石原莞爾は、「敗戦責任」にも強く関わっています。
(2・26事件が、北と石原をリアルなレベルで結びつけた唯一の出来事だったかもしれません。石原は、ヒトラーの『マインカンプ』を読んでいるくらいですから、北の『国家改造法案大綱』も間違いなく読んでいるはずです。参謀本部作戦課長であった石原は、戒厳令司令部の参謀として2・26事件の解決(鎮圧)に臨んでいます。北一輝の死刑判決に石原が関与できる立場にあったのかどうかはわかりませんが、北一輝は死刑もやむなしという陸軍中枢の大枠のなかにいたのでしょう。奇妙な縁なのかもしれません)
石原一人で企図したものではないので彼に全責任を負わせることはできませんが、2・26事件やシナ事変の拡大が、満州事変の“成功”に強く影響を受けたものであることは間違いないと思っています。
満州事変の前に、統帥権を無視して現地軍司令部が専断で部隊を動かすということはありませんでした。(攻撃を受けたときに独断で限定的反撃を行うことは認められていました)
現地軍司令部が専断で部隊を動かして南満州全域から北満州までを武力制圧し、満州国建国の道標を付けたのが満州事変です。
このような“統帥権侵犯”行為が、処罰の対象になるどころか、国家国民から歓呼の声で受け入れられ、政府も結果オーライとして満州国建国に走り、関東軍は、南満州鉄道権益及び居留民保護の任を帯びた弱小派遣軍から満州全土を管理する独立的帝国軍になります。
石原莞爾も、国民的英雄となり、やがて参謀本部の作戦課長に抜擢されます。
石原がいかに高い理念をもって満州支配に乗り出したとしても、天皇の親裁を得ないまま作戦を実行に移すという大罪を犯したことは厳然たる事実です。
(石原が自分の作戦を天皇に認めさせていれば問題ありません)
張作霖爆死事件は名目的に処罰されましたが、満州事変は、それさえ行われませんでした。
軍の根幹を揺るがす大罪が問われることなく、逆に称賛を浴びることになったのですから、よかれと思うことであれば統帥権を無視して部隊を動かしてもいいという風潮が陸軍士官のあいだに漂うことになります。
心有る士官が大御心を勝手に忖度するだけではなく勝手に体現するという尊皇主義の大転倒が起きたのです。
(もちろん、最大の責任は、昭和天皇や陸軍大臣そして参謀総長にあります)
満州事変の責任者に対する処遇を誤っていなければ、2・26事件もシナ事変の拡大も防げた可能性があったのではと思っています。
(作戦課長時代に起きた2・26事件では反乱軍将校に「石原さんが軍規を語るんですか。ワハハハ」と揶揄され、作戦部長時代に遭遇し早期解決を目指したシナ事変では、現地軍司令部や参謀本部主戦派(多数派)に「石原さんがやったことをやってるだけだ」と反論されるという始末でした)
ところで、石原莞爾に関する書籍ですが、やはり彼の著作をお読みになられるのがいちばんだと思います。
現在入手できるかどうかわかりませんが、“たまいらぼ”の『石原莞爾選集』から、「最終戦争論」を含む第3巻と「新日本の建設」(戦後著作)を含む第7巻をお奨めします。
「最終戦争論」は、『最終戦争論・戦争史大観』(中公文庫)と『最終戦争論』(中公文庫BIBLIO20世紀)でも入手できるようです。
「新日本の建設」のほうがお奨めなのですが、入手しづらいかもしれません。
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