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(回答先: Re:追伸 財閥が受動的だったとは思えない 投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2003 年 11 月 01 日 09:10:00)
戦争屋は嫌いださん、軍事技術のフォローなどありがとうございます。
>当時の日本の内部を考えた場合、財閥が受動的で、政府・軍部が主導的だったとは思
>えない。
これまでの説明は、戦前日本の戦争拡大が戦後米国に代表される軍需産業の利益のための戦争とは違うものだったという趣旨であり、財閥が国策に受動的だったという主張ではありません。
この問題にこだわっているのは、近代国家間にある同質性と異質性や国民経済レベルの違いがもたらす規定性を無視できないと考えているからです。
統治者及び国民が持つ国家観も違えば、主体的能動的に近代化を進めた国家と受身的に近代化を進めた国家という差異性もあります。
戦前の日本は、産業構造の後進性という桎梏を抱えながら、地域での軍事力が突出していた“半先進国家”だったと見ています。
戦争を含む対外政策は、市場の拡大と資源の確保そして植民地(過剰人口の捌け口)を目的として遂行されましたが、資金力及び産業構造から戦争そのものを自己目的化する状態ではありませんでした。
藩閥政治と富国強兵策のなかで育成されていった財閥は、政党政治と結びつきながら巨大化していきます。
当初の財閥もそれほどの資金力があるわけではなく、富国強兵策が要請する財の生産や国際取引で優位性がある財の供給や国営企業の払い下げを通じて育成され、台湾領有・中国租借地確保・韓国併合・南満州権益確保といった対外権益の拡大にシンクロするかたちで大きくなってゆきます。
明治維新後の日本は、近代後進国の一つの典型である開発独裁とも言えるもので、資本家グループが国策を差配したいたというより、権力を奪取した政治勢力と企業家が相互利益のために動いたと見たほうがいいと思っています。
大正から昭和初期にかけては政財界が一体となった私的利益の拡大が追求された時期が、自由主義的価値観の広まりという点と合わせて、現在の日本によく似た政治経済状況にありました。
しかし、この時期は、戦前でもっとも平和な期間でもありました。
欧米列強は欧州大戦(第一次世界大戦)のためにアジアに注力する余裕はなく、併合が終わった韓国はそれほど激しい抵抗もなく利権を確保する対象となっていました。
中国は辛亥革命後の混乱割拠状態にあり、ロシアはボルシェビキ革命という混乱状態でした。
軍人が軍服で街中を歩くと揶揄されるほどの空気が日本に満ちていました。
財閥と結びついていた政党内閣が海軍及び陸軍の軍縮を進めたのは、その財政負担が財閥や資産家への増税となることがわかっていたからです。
戦争よりも、既得権益を活かして儲けたい、米英とは協調して貿易で稼ぎたいというのが財閥の思いでしたし、そう思わせる経済論理が働いていました。
そういうなかで、米国が日本人移民を排斥する政策を採ったことで過剰人口問題がクローズアップされるようになります。
今から考えるとどうしてという問題ですが、中国&仏印問題への米国の対応(通商条約破棄・石油禁輸・資産凍結)で急膨張した「米国は横暴、対抗すべし」という日本人の意識は、この日本人移民排斥政策が根っ子にあったのです。
満州事変は、過剰人口問題を解決することも目的の一つとして引き起こされました。(他は、資源と市場そして対ソ防衛強化という目的です)
この満州事変も財閥が望んでいたとはとうてい思えません。なぜなら、南満州の権益を確保するために要する財政支出とそれから上がる利益が見合わず、利益源である満鉄は実質国有ですから自分たちに大きなメリットはありません。
実際にも、大正末から昭和の頭には、満州利権放棄論が政党から打ち出されています。
満州国建国後も、軍部が財閥を嫌って進出を歓迎しなかったことも要因ですが、重化学化の根拠地として開発に乗り出す財閥がないため軍部が鮎川義介氏に頼み込んでようやく動き出すという状況でした。
(もちろん、財閥は新しい市場での利益追求活動が行っていますが、満州経営は国策会社が中心に進めました)
そして、満州事変後は、私利私欲を貪るために売国的投機活動まで行う財閥に結びついた政党ではなく、軍部への政治的期待が高まります。
財閥がどのような状況でもその資金力を使って政治権力と結びついて利益を拡大を図ったことは確かですが、戦争拡大を主導したとは言えないと考えています。
ある意味で米英コンプレックスの最たるものであり情報収集力も高かった財閥経営上層部は、米英と戦争して勝利できないことはよくわかっていました。
その結果も予測通りで、罪に問われることはなかったとしても、解体の憂き目にあっています。
いくつかの実例を挙げられていますが、「当時の日本の内部を考えた場合、財閥が受動的で、政府・軍部が主導的だったとは思えない」根拠をもう少し展開していただければ幸いです。