現在地 HOME > 掲示板 > 議論15 > 286.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 客観的事実が必要です 投稿者 スパルタクス 日時 2003 年 10 月 30 日 18:08:11)
スパルタクスさん、こんばんわ。
戦前の軍需産業は、富国強兵策や打ち続く戦争で膨大な利益を上げ続けたのは確かですが、戦後の米国軍需産業と違って、自己の利益を拡大するために戦争を求めるという状況にはありませんでした。
1922年のワシントン会議で海軍軍縮に乗ったのも、宇垣内閣で陸軍師団数削減という軍縮が断行されたのも、日本の資金力(経済力)乏しかったことに起因しています。
国家予算の35%ほどを費やし続けても、米英に対抗できると確信できる軍備が達成できる見通しはありませんでした。
軍事産業部門を抱える財閥も、軍備強化のために“増税”されるのはいやだから、軍事費を抑えて欲しいと考えていました。
満州事変以降に陸軍が軍需産業に増産体制を求めても、それが継続的な発注になるかどうか疑念を抱いていた軍需産業は既存の設備で対応したほどです。
軍事技術的に見ても、軍艦の建造は先進国水準に達しましたが、航空機・戦車はずっと劣っていました。(ゼロ戦も、運動能力を高めるために防御力を犠牲した航空機です。初期の善戦は搭乗員の練磨の賜物と言えます)
国家総動員体制になってからは、賃金の規制や利益の規制など軍需産業にとってそれほどうまみのある条件ではなくなっています。(社会主義的な統制経済で、戦後の企業経営に継承されています)
戦前の軍需産業は、国策を受動的に遂行した存在だと考えています。
もちろん、財閥を筆頭とする財界は、国家が国費で遂行して手に入れる海外権益の拡大を強く望んでいました。
しかし、経済論理から対米開戦を望んでいた財界はいなかったはずです。