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(回答先: 趣旨をご理解いただけていないようですね 投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 27 日 19:08:05)
「敗戦責任も満足に扱えないお前なんぞと議論するつもりはない!」とあっしらさんに言わ
れたので、書記長さんはあなたにレスをつけるのを遠慮しているのでしょうね。
私もあの消えた絶縁宣言を偶然読んだのですけれども、それは激しい口調でした。まるで今
まで確実に2・3人鉄パイプで半殺しにしたことがあり、本当は一人殺している左翼みたいな
波動を発していました。
それはそうとして、今日はあまり述べる時間がないのですけれども、要するに戦争(敗戦)
責任という視点には「だれそれのせい・だれそれが悪かった」というところにどうしてもアク
セントがあるでしょう?
そうした見方は、社会レベルの問題を論じるときには難しいところがあると思います。実際
は単純にだれかだけのせいにするわけにはいかない場合が多いからです。戦前の独立国家日本
における社会規模の試行錯誤の連続の中では、一部の人間に対して何かの結果責任を負わせる
のは「政治的」な姿勢ではあっても「客観的」な姿勢ではありえないと思いますの。
「いや、個々の事象についての客観的な失敗者を特定するだけだ」とおっしゃるのでしょう
けれど、それなら道徳的・法的な非難という意味を排除した「敗因」とか「失敗理由」を分析
すると言えばよいのです。
それ以前に、何が成功で何が失敗なのかという基準は客観的・普遍的ではありえないでしょ
う。「大東亜戦争肯定論」の側に立つ人々は、私も含めて戦争に負けたからといって「失敗だ
った」とか「やらないほうがよかった」とは言わないのです。今回はもう話す時間は無いけれ
ども、ここには複雑な問題があるのです。この基準は人によって異なるということだけは、確
かなのです。