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「阿修羅」=「(∞+あっしら)」=「覚有情」
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投稿者 如往 日時 2003 年 8 月 27 日 01:26:46:yYpAQC0AqSUqI

 あっしらさん、こんにちは。
 雑談の中で、ふと湧いてくるようなものですが、氏の近頃の興趣に副うものでありましたらサロンの佇まいよろしく、お付き合い下さい。


 以前私は、ロマン・ロランの「私が人間に生まれたのは必然である。しかしフランス人に生まれたのは偶然に過ぎない。」を牽いて、これを私流に「私が人間に生まれたのは一つの宿命である。しかし日本人に生まれたのはある種運命に過ぎない。」と、変換しました。人類がそれぞれの運命(歴史過程)が相違するという理由によって、地球という Matrix において引き受けるべき宿命を分別することなどできない、そうした意識が胚胎すべき時代が到来していると思います。
 こうした心象風景を一部の偏狭なNationalistは無国籍者の繰言と揶揄するかも知れません。同世代とそれ以上の人間達からは辛辣で激烈な言葉が飛んで来るものですが、ここ阿修羅のシンパサイダーの面々は非常に紳士的でありそれが美点であると思っています。無論、誰もが未だに運命の方行を示すメルクマールを見出せぬ現状では、一つの視界に収まり得る枠組みを頼みにするのは人間性の在り様ないしは習性として容認されるべきことなのでしょうが。

 少し前のマルハナバチさんのレスに、(阿修羅に集う若き)現代人のvirtualな精神性の理解のためには「精神のコスプレ」といった視点が補完的に有効に働くのではとの教示がありました。しかし、如何に「精神のコスプレ」を重ねようとも、コスプレである限り「かくも長き身体性の不在」の回復に繋がるとは考えられません。たとい仮衣を纏い想像の空間を滑空することによって感性は磨かれたとしても、卑近な現象であっても事実に対峙しつつ自ら思考実験を繰り返していかない限り論理が鍛錬されることはなく、さらに世代間に架橋する汎用性あるラポールを形成できぬままでは建設的なコミュケーションの現出など望むべくもないでしょう。しかしながら、同時代性として多くの人々が投企していけるような、しかも不可避的な情況が只今存在しないことが論争を賦活させない本源的な原因になっている事実は否定できないと思量しています。

 ところで、阿修羅で行なわれている世界の様々な情勢分析を参照していると、決まって頭を擡げる問いは『インターナショナル(グローバル)な策謀の先達(米英)に抗うために対置すべきDriving forceは何になるか。』というものです。同時に、事が日本人の問題として限定するときに、その昔卒論用の文献研究リストにもあった土居健郎『「甘え」の構造』の一節が想起されます。少し長い引用ですが、紹介させて下さい。

 【ところで以上あげたような日本的体験の本質が幼児期にあるという反省は、先に「甘えのイデオロギー」の項にふれたように、敗戦の衝撃によってこれまで日本の社会を結びつけていた道徳観念の権威が傷つけられることによって初めて可能となったように思われる。すなわち人々が敗戦の痛手の中で忠孝の道徳を投げ出し、義理人情を古くさく感じ、忘恩の謗りを恐れることなく生きはじめた時、彼らを実際に動かしている一番深い欲望が甘えであり、しかもそれがいたく傷ついていることを漸くにして自覚するようになったのである。それと同時に彼らは、この甘えが本来幼児に属するものであることをもあらためて悟るようになったのではあるまいか。もちろん、甘えの心性が幼児的であるということは、必ずしもそれが無価値であることを意味しはしない。無価値であるどころか、それが多くの文化的価値の原動力として働いてきたことは、現に日本の歴史の証明するところである。それはまた単に過ぎ去った文化的価値としてだけではなく、現にわれわれの中に生き続けている。しかし今後われわれは、日本精神の純粋さを誇ってばかりはいられないであろう。われわれはむしろこれから甘えを超克することにこそその目標をおかねばならぬのではなかろうか。それも禅的に主客未分の世界に回復することによってではなく、むしろ主客の発見、いいかえれば他者の発見によって甘えを超克せねばならないと考えられるのである。】
         ― 土居健郎『注釈「甘え」の構造』  第三章「甘え」の論理 99p―

 私は、日本人の意識構造の形成過程には、主客の分化を闡明にする手続きを経ぬまま未分化状態への回帰にたいする希求という「甘え」が包蔵されていると見ています。他者の発見、すなわち他者と対峙していくプロセスを抜きにして甘えの超克はあり得ないとする土居健郎の問題提起が30年以上を経ても全く色褪せることなく、却って日本人の精神状態の未発達性を露呈させてしまっていると言えるでしょう。精神科医の一所に留まったままの土居健郎自身も解決の目途が立っているわけではありません。思想史家ではないのですから止むをえませんが、おそらくそれは「甘え」を発生させた淵源にまで考察が及ばなかったことに起因していると考えます。
 それでも、日本人のこの「甘え」が戦後において尚、敗戦責任を問えなかった遠因になっているという認識と天皇の存在がその障壁にもなっているのではという推察が言外に含まれていると憶測していますが、そう言明しなかったのはやはり思想史家ではなかったことによるのでしょう。
 畢竟、「精神のコスプレ」への専心が甘えの超克に資することはあり得ないでしょう。我々日本人にとってはDriving forceの創出に取り掛かる以前に甘えの超克という課題があったはずなのですが、つい忘却して「降服」や「呈上」の言辞をもってそれに応じようとした己の不明を、今は深く恥じているような次第です。

 これからも、「阿修羅」=「(∞+あっしら)」=「覚有情」の進展に期待しています。
 また、お会いしましょう。

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