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(回答先: 「阿修羅」=「(∞+あっしら)」=「覚有情」 投稿者 如往 日時 2003 年 8 月 27 日 01:26:46)
如往さん。 こんにちわ。 横レスです。
以前に私に聞かれた質問の続き(というか同じ質問)みたいですので、とりあえず。
本当に哲学の人なんですね。 びっくりしました。
(日本人に生まれたのはある種運命に過ぎない。」と、変換しました。人類がそれぞれの運命(歴史過程)が相違するという理由によって、地球という Matrix において引き受けるべき宿命を分別することなどできない、そうした意識が胚胎すべき時代が到来していると思います。)
本題からはずれますが、ロマン・ロランの本音は汎欧州主義(パン・ヨーロピアニズム)ではないのでしょうか?
クーデンホーフ・カレルギー伯爵の先駆。
ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」
雄牛のようなクリストフと、繊細なオリヴィエ・ジャナンの結婚(ドイツとフランスとの結婚)の物語ですね。
あまり面白くないです。
男性同士の結婚の物語は普通なら興味津々なんですが、これは駄目ですね。
「ジャン・クリストフ」で面白いのは、パリの雑踏、そして混沌の描写ですね。土俗的部分への観察眼です。
徹底してフランス的な部分の描写ですね。
ロランの汎欧州主義は、言語や基底文明の共通性への信頼なくしては成立しがたいものであると理解しています。
それが一種の駆動力になっているが、かなり無理があると思っています。
私は、日本人−つまり日本語だと理解しているんです。
(ところで、阿修羅で行なわれている世界の様々な情勢分析を参照していると、決まって頭を擡げる問いは『インターナショナル(グローバル)な策謀の先達(米英)に抗うために対置すべきDriving forceは何になるか。』というものです。)
同胞の苦境を見捨てられるのかな?
他に駆動力はないですよね。
私にはまったく思いつきません。
同胞の苦境に同情共感できなくなったら、もう駆動力はないような気がします。
私の駆動力もそんなに強くないですね。
白状しますと、この高度生産力を持つ社会で年間3万人が経済的理由で自殺することを、人ごととして見過ごせる私には、駆動力はあまりないのかもしれません。
私は神と神の代替物は(一般的には)信用できません。
同胞を苦しめた者ほど神に頼るという歴史的事実がありふれていることを、良く知っているからです。
特に残虐な戦争の兵站を担った者達が熱心な信仰者になるケースは多いですね。
もちろん信仰者に立派な人がたくさんおられるということは別問題です。 個人的な知り合いもおります。
以上的外れなレスで申し訳ありません。