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(回答先: Re: 「観念の専制遺構」の強度? 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 9 月 09 日 17:58:52)
すみちゃんさん、こんにちは。
『共同幻想論』を中心した交信は、私のほうもこの辺で一纏めをしてひとまず終結させたく思いますので、宜しくお願いします。
>つまり終戦時に日本人が簡単に「転向」し、米国一辺倒になったことから、「観念の専制遺構」が今日的な意味で十分な強度を持っていなかったということでしょうか?できましたら、もう少し議論を展開して頂けると助かります。
十分な強度(直進性や柔軟性を包含する)を有し得なかったことについては、中沢新一が講演の中で日本が敗者の流入によって国の礎がつくられたこと、あるいは二語併記の言語的・文化的特性をもつこと等から日本人の受動的な意識状態について語っていましたが、この見識に私は強い関心を持っています。そして、このことは何故に「観念の専制遺構」が超絶的に強いものにならなかったのかの解明に繋がっていくのではと考えています。(議論の展開になっていないかも知れません、次には思索の進捗状態も兼ね合わせつつもう少し詳しく述べたいと考えています。)
>今回感じたことですが、如住さんには、共同幻想論を死者の方から見るという方向性が感じられました。私は、どちらかと言うと、復員兵が大きな背嚢を抱えて帰って言った共同体への視線を強く感じたのです。
>確かに戦後日本人は簡単に「転向」したように見えます。「観念の専制遺構」は強度を持っていなかったかのように見えます。
>あんなに天皇制護持を叫んでいたのに、なぜ?この謎を解くために共同幻想論が書かれたものと思っていました。
>それは逆方向から見ると、「明治維新期や第二次大戦開戦期に至っても西欧を凌駕するような今日的意味での「観念の専制遺構」が日本的なるものとして顕現して来なかったこと」に通ずる問いかと思いました。これは死者への連帯という立場からの問いのように思われました。
全共闘時代の真っ只中のときには、上部構造の解体とその方法を解き明かしたものとして『共同幻想論』は斬新さに溢れ、それ故に造反有理の根拠にもなり得えたり、多くの同世代人が受け入れたのだと思っています。
しかしながら、私自身、吉本が『共同幻想論』を著すことになった遠因が『固有時との対話』や『転位のための十篇』にあったと知るのは、全共闘の時よりもずっと後になってからのことです。また、すみちゃんさんご指摘の共同幻想論を死者の方から見る、すなわち死者たちが依拠していったものの実相を解き明かすことによって死者たちに応えようとした吉本の営為に、共感らしきものを伴いながら感受できたのも時を同じくしています。
吉本の思想についてはここでは細部まで立ち入ることはできませんでしたが、しかし、在来(特に戦前・戦中・戦後初頭)の既に編み出されているContextを対象化し、様々なFunction&Parameterを試行することによってContextの再構築を図っていくべきとする吉本の示唆するところは今日でも尚、通力を失っていないと思われます。
そして、『異端と正系』において発した、文学は戦後を読み解く上での新たなFunction&Parameterを提供し得るかとの問いに対して、『言語にとって美とは何か』はその一つの回答ではなかったかと捉えています。
「アマテラスにたいするスサノヲのレコンキスタ」については、「岸田スレッド」で述べさせていだきたく思っています。
また、会いましょう。