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(回答先: 「観念の専制遺構」の形跡は何処に。 投稿者 如往 日時 2003 年 9 月 08 日 19:07:29)
「観念の専制遺構」の強度?
如住さん。 こんにちわ。
(60年代から70年代にかけての吉本を信奉する同世代人は息をひそめつつ、吉本のその後を注視していたことは間違いありません。それには吉本自身も『試行』の中で応えようとしていましたし、私は「試行」の提唱自体がその答えではなかったかと受け取っています。)
如住さん(およびその世代?)にとって、吉本隆明氏がいかに大きな存在であったかを感じております(びっくりしています)。
(岸田秀の近代日本は米英にレイプされることによって成立したとの認識と日本は外圧によってしか変わらないという見解は、レコンキスタの意義をも遺失させるほどに衝撃的でした。
つまり、それは明治維新期や第二次大戦開戦期に至っても西欧を凌駕するような今日的意味での「観念の専制遺構」が日本的なるものとして顕現して来なかったことを叙述していると想われるのです。
どうしたらオカマをホラれた男性(性)がレイプされたMatrixの回復を図っていけるのか、外圧によってしか変われない存在である日本人の精神性が果たして負うていけるものなのか。)
何となく分かるような気もするのですが、できましたら、もう少し分かりやすい形で、独立した「岸田スレッド」として立てていただくことが望ましいかと思います。
このスレッドも埋もれてしまいましたし。
特に「スサノヲによるアマテラスのレコンキスタ」というところが良く理解できません。
もう少し理解した後で私見を述べさせて頂きます。
それから、「今日的な意味での観念の専制遺構」は、吉本的な文脈ですと近代天皇制になるのでしょうか?
近代天皇制は一応顕現してましたよね。
そういう意味ではないのでしょうね。
つまり終戦時に日本人が簡単に「転向」し、米国一辺倒になったことから、「観念の専制遺構」が今日的な意味で十分な強度を持っていなかったということでしょうか?
できましたら、もう少し議論を展開して頂けると助かります。
非常に興味深いことをおっしゃっておられると思います。
(吉本は戦後間もなく逸早くそれを悟り、過去の先達が編み出したContextを精査・批判しつつ、死者達へのものを併せて答えを出そうとしたのでしょう。またそれは、日本に流れていた精神の命脈を解体していく作業でもあったと捉えています。しかしながら、実は未だに我々はルサンチマンを超克するようなその後の答えを出していないと思うのです。)
今回感じたことですが、如住さんには、共同幻想論を死者の方から見るという方向性が感じられました。
私は、どちらかと言うと、復員兵が大きな背嚢を抱えて帰って言った共同体への視線を強く感じたのです。
確かに戦後日本人は簡単に「転向」したように見えます。
「観念の専制遺構」は強度を持っていなかったかのように見えます。
あんなに天皇制護持を叫んでいたのに、なぜ?
この謎を解くために共同幻想論が書かれたものと思っていました。
それは逆方向から見ると、「明治維新期や第二次大戦開戦期に至っても西欧を凌駕するような今日的意味での「観念の専制遺構」が日本的なるものとして顕現して来なかったこと」に通ずる問いかと思いました。
これは死者への連帯という立場からの問いのように思われました。
この点については、今回はこれくらいにしましょう。
最初からきちんと展開した方がよさそうです。
「岸田スレッド」で再検討させて頂けますと幸いです。
(私はヘーゲルが歴史的文脈を或るシナリオの展開として捉えた(歴史哲学講義)最後の哲学者であると見ていますが、同時に歴史的進化をFunction&Parameterで把捉する試行の方策(大論理学)を示していると考えています。後者をどのように援用できるのか、または二つの「共同体」をどのように並置できるのか、そもそも「君主」の概念が日本とヘーゲルの世界とでは形成状況が異なっていると想います。)
なるほど。 そうかもしれません。 あまり自信は持っていません。