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(回答先: 「意識に対する専制遺構」とは? 秩序形成のmatrixの地質学−考古学 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 9 月 05 日 23:02:20)
「意識に対する専制遺構」とは? 専制はやはり暴力である
マルハナバチさん。 こんにちわ。
(すみちゃんのここでの論考を読んでいると、どこまで吉本さんが共同幻想論で展開した論旨なのか判然としなくなる。そんな事書いてていたっけか…と想う。
その疑問に答えつつ納得できる論にしようとするなら、もう一度共同幻想論を読み返さないといけない)
ユーラシア大陸モンスーン地域とは異なる観念の専制遺構を発掘しようという意思については、「共同幻想論」の「角川文庫版」の前書きに記載されています(これは全共闘が読んだ原版にはないのかもしれませんが、私はそちらは読んでいません)。
ただし、直上の投稿で私が書いたことは勝手な推測です。
共同幻想論の本文には、この手の分かりやすいまとめ的な記載はありません。
だからこの本を読んで理解することはさぞかし大変だったろうと思います(私もそんなに自信はありません)。
吉本は、上位概念による分かりやすいまとめ方をしない思想家のようです。 上位概念的な分かりやすいまとめ方を自分に禁じているみたいに見えます。
(共同幻想論をきっかけにしてここでは論が展開されているにもかかわらず、共同幻想論を離れて成り立つテーマが現われていると感じます。)
確かにそうです。
(共同幻想論を離れて(も)成り立つテーマ)と言い換えたいのですが?
(マルハナバチ:「意識に対する専制遺構」とは? 秩序形成のmatrixの地質学−考古学
このように言い換えてみたくなるんですよ。(「観念による専制遺構」でもいいか…両者とも解ってしまえば同じだけれどね))
観念という言葉は吉本の用語です。
ヘーゲル−マルクスの系譜を引き継いでいる用語かなと思いました(正しいかどうかは自信がありません)。
(すみちゃんのレスの主題は、《支配統治すべき共同体群をいかに日本の「王」は統治したか》と言う事ではないでしょうか。)
そうですね。
(大陸とは異なる日本での方法を、治水運河という余剰生産物の創出に関わる巨大土木技術と体制の施行とは別の、純粋に観念的次元での支配方法によって実現しのが日本であろうと…。その表白が下記のとおり。
〉観念的な坑道が多数の共同体を横断するように掘削されたというイメージ(のよう)です。)
確かに「観念」と言う用語が、日常的意味と違うという問題があり、分かりにくくなっています。
吉本的には、統治、祭祀、課税を含めた(権力の正当性を示す)上部構造に近い概念だと思います(たぶん)。
(共同体外部の「王」は善き異界の力を自らに属させ、同時に、これに抗い反するものには、恐ろしき異界の力が心慄かせ、恐怖萎縮させるようにプログラミングの戦略を立てて実現させたと言う事じゃないのかな。
その方法とその体系は古墳を発掘解析すると解りそうだという感想ですね。)
素晴らしいまとめ方ですね。
古墳うんぬんはもちろん私の妄想です。 吉本思想ではありません(念のため)。
実態的には、畏怖と呪詛とを併せ持ったようなシステム。
それも単に頭で考えた思想というものではなく、実際に甚大な身体精神的影響を与えるような畏怖−呪詛のシステムがあったと思います。
これは、更に古代的な地層である共同体の外部への畏れを簒奪し、置換するものでした。
これによって多数の共同体の横断−課税が可能となったわけです。
そのテクノロジーはたぶん古墳に埋設されていると思います。
しかし、現代日本では主要な古墳の発掘は許可されないそうです。
もし古墳の神秘が、発掘したら消滅する程度の神秘であるのならば、消滅させてもよいと考えています。
その程度の詐欺なのかどうかは、私には良く分からないのです。
これは正直に言うしかありません。
例えば、韓国の慶州に旅行したことがあります。
すると慶州にも多数の古墳がありました。
地元の観光ガイドは、日本の古墳は、慶州方面から移住した人間が押しつけたコピーだと言っていました。
これが正しいかどうかは自信がありません。
(これは、支配統治のシステムを見抜く事によって、私たち自身の生命/意識のmatrixがどのように出来ているかを理解し解放する契機にもなります。
そして、古代から共時的に繋がって生起している私たちの「地球のmatrix・地域のmatrix・生命/意識あるいは身体のmatrixを通した共鳴的響きあい」へと覚醒を招きます。)
古代豪族制(あるいはその後の古代天皇制)は、高額の税金を共同体に賦課したことは間違いありません。
不勉強なのですが、三内丸山遺跡に代表される縄文遺跡の研究では、縄文人の労働時間は短く、余暇は長く、洋服はオシャレで(装飾品が多数出土しています)、余暇時間は、祭祀、舞踏、恋愛、そして芸術(土器制作)に励んでいたとされているようです。
いかに彼らがヒマであったかは、あのゴテゴテした土器を見れば一目瞭然でしょう。
瀬戸内地域では、ある時期に、いわゆる弥生式土器に、わりと突然とって代わられます。
弥生式土器は機能的ですが、祭祀の喜びはなく、土器にあふれていた動物や何かの装飾もなく、単調な文様しかありません。
そこに重税を見るのは自然なことでしょう。
税とは、突き詰めれば労役です。 タダ働きです。
税を共同体に賦課するには基本的に暴力が必要です。
しかし暴力だけでは、安定した統治は不可能です。
暴力の裏付けを伴った精神支配も必要不可欠ですね。
観念の専制遺構はそういうものと考えられるのではないかな(もう吉本さんとはあまり関係ないです)。
共同体を精神支配するためには、呪詛と畏怖の体系を必要としたと。
マルハナバチさんの書かれている意識の共鳴−私にとって、それは暴力支配のない世界のイメージを喚起するものでした。
私たちは進歩しているんでしょうか?
まとまりのないレスでごめんなさい。