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(回答先: 「意識に対する専制遺構」とは? 専制はやはり暴力である 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 9 月 08 日 20:52:23)
すみちゃん、レスをありがとう。
まとまってなくたっていいでしょう。直感と即興のなかにその知が生まれ来た母体を予兆する事が、多分に理解だし。
この楽しさは何なのだろう…
新しい知が生まれる事とは、根源的な愉楽を孕むことだろうか?
あっしらさんがあそこまで持続できたのは、怒りと同時に知の生まれへの根源的愉楽( はっきり言ってエロス…だけれど、
光の雲海に内から慰撫されるようなエロス? )に力を供給されての事かと想います。あそこまで創り、生んでみたいなあ。
馬場さんの魔術のような案の時も、こういうことがあったなあ…恍惚し、くらくらした。 (Mr.バベージ、“必読文献”は読んだ?)
さあ、直感で応えます。
〉私たちは進歩しているんでしょうか?
引き続き、生まれ出ようとしている赤ん坊のようなもの。
母親の胎内にいる限りは、意識・認識の地平も次元もその段階以上に進歩しない。
生まれ出て、本来あるべき生命の基盤から分離した恐怖と孤独、そこから来る暴力のなかにあるのが欧米的な実存。
地球上の他の地はこれから。日本は自らに気付くべき時。
生まれ出て、直ちに母親と肌を触れ合わせ、その声のリズムに出会い、その体温と鼓動の中で始めての命の糧を贈られる安息…
これを知っている者によって取り上げられ、育まれた赤ん坊は異なる姿勢を持つことでしょう。
“彼ら”の人間らしいあり方のためにも、この智慧を喪ってはならない。それは時を越えて伝えられてきた事。
この智慧を基盤に個人個人が自らの存在の内からの荘厳をこの宇宙/地球/自然との澄んだ界面に覚知する時、
そして同胞とともに生くることを得る次元にたどり着いた時、私たちはこの宇宙の中、地球で進歩したと言えるのかもしれない。
もはや終わりの時か、その時絶望への闇をくぐった個によって、はじめて獲得されゆくものか、
母子ともに分離への苦しみを経た、回帰しながらの展演か、遊びのような…共鳴する宇宙の荘厳をなす個においてか
〉意識の共鳴−私にとって、それは暴力支配のない世界のイメージを喚起するものでした。
上に書いた事のなかに、それをさらに補強するイメージが現せていたらうれしいけれど…
すみちゃんは母上に連れられて巫女の習いをされてきたようですが、身体に編みこまれ記憶されたはずの智慧が具体的にあなた
の思考と小宇宙的に結ぼれて展開する時が楽しみです。
殺されて朽ちたイザナミのお話が印象に残っています。
私は神道にも深い共感はあるけれど神道系の信仰の方は持たないので、神話を借りて大事な事がそこに示されたと想っています。
慶州の古墳と日本の古墳の話等いくつか応えたい事を書いて頂きましたが、相変わらず時間が無いので核心のところへのレスで
今回はお許しを。