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(回答先: 「観念の専制遺構」とは? 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 9 月 03 日 22:20:16)
「観念の専制遺構」とは?−観念の地質学−考古学
マルハナバチさん。 こんにちわ。
(実は桂離宮の解体を見ていて意識の断層が露呈されたようにして観えたものがあり、ああっと想ってしまった。
身体と場所性が凄く関わっていそう。
深いよーー、王と身体、世界の問題が出そう。)
あまり深く考えていないんですけど。 すいません。
ユーラシア大陸−中国では、大規模治水運河などの土木工事がなされていますね。
これは水力社会において、皇帝が、過剰生産力を作り出すための労役を共同体に賦課した(課税)ことを意味しているはずです。
これは現実的な専制遺構ということになるのでしょう。
日本古代では、古墳が専制遺構の現実態ということになるんじゃないかと思います。
それは別として、共同幻想論の前書きでは、日本列島においては、大規模水利工事が見られない代わりに、観念的な坑道が多数の共同体を横断するように掘削されたというイメージ(のよう)です。
遠野物語編では、共同体が外部の異形と出会う、その心的位相を分析していると思います。
それは馬であり、女であり、熊であるものとして現れます。
共同体のはずれにおいて、ヒトは意識を失い(入眠幻覚)、日常では出会うことのない異形と出会う。
それは多くは山岳みたいです。
共同幻想論の古事記編は、血の観念を中心として取り上げているように読みました。
前者の外部が後者の王(家の血)に回収されていく観念の征服過程を分析しようとしたのではないかと勝手に思っています。
王が多数の共同体を結合していくことによって古代帝国が生まれることになります。
このような分析の動機は、上のレスで推測しました。
ここで最も重要なことは、共同体の周縁での入眠幻覚に基づく異形(外部)の存在によって、共同体がまとまる駆動力が与えられるということではないかな。
このような異形を分析した遠野物語編は、人類の古層に遡行していると評価できると思います。
とりあえずこれくらいでいいかな?
古事記編は、正直言って分析に成功しているのかどうか良く分かりません。
私としては、専制遺構である古墳を開いて研究すれば、もっとよく分かるんじゃないかと思っています。
できればその方がいいんでしょうがねえ。
今週土日はレスできないので、失礼致します。