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保守主義とはブログ版-1http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/10751582.html
保守主義といっても、日本と世界では様々な保守主義が存在しています。
近代的保守主義・政治的保守主義・宗教保守主義、保守主義は、伝統主義者のように「古き良きものへの回帰」への希求をするものばかりではない。ネオコンもNeoconservatism「新保守主義」の訳であるので、保守主義の枠に入ると認識しています。
また日本においては、9.11以降、米国のイラク戦争への考え方の違いから、保守主義を反米保守主義(ナショナリズム)と親米保守主義(対米従属主義)の溝が深まり、日本における保守を大きく二つに分けて分類されています。
もともと、保守主義という言葉は、フランス革命後王政復古の機関紙を、「Le Conservateur」と名付けたことに由来するそうです。
保守主義とは、フランス革命後、その急進的恐怖政治に対して、英国の下院議員エドマンド・バーク(Edmund Burke)が、『フランス革命の省察』を著し、フランス革命を全否定して、フランス革命をイギリスに波及させない思想を、保守主義の誕生とする説がある。
結局、軍事力で制圧する対仏戦争を主導するための思想書として成立している歴史がある。単なる伝統主義とは一線を画す思想であると私は思う。
保守主義とは、革命による急進的変化を嫌うが、単に現状維持を主張するものではなく、ただし、変革を受け入れるにしても伝統や歴史的背景、そこに連なる共同体の存在。宗教的連続性を尊重した上で、変革を容認する思想であると考えています。
また、フランスでの王政復古派は、フランス革命における行き過ぎた民主主義による腐敗と暴力に対峙する思想として勃興してきたものである。
政治には理想と現実に常にギャップが生じるものです、民主主義の理想と現実のギャップの結果、ギャップを埋めるものとして、保守主義思想の発生した歴史的背景があると思います。
日本では、保守主義を、反米保守主義(ナショナリズム)と親米保守主義(対米従属主義)に二分して保守主義を論じるのが今日的傾向ですが、違和感を感じています。
私は自分の思想を、消極的な親米保守主義と自己規定していますが、親米でも反米でもない保守主義者であると考えています。世間一般的な保守の分類に従えば、反米保守主義的立場をとる、江藤淳や、三島由紀夫と自民党主流派に代表される親米保守主義は対峙する思想であるが、私が定義する消極的な親米保守主義とは、双方ともに相容れないものではない。吉田茂より連綿と続く自民党主流派の親米保守主義も反米保守主義もけして二律背反なものとは思わない。
個人的には消極的親米保守主義ではなく、正統保守主義であると宣言したいところだが、西部邁氏の「真正保守思想」と宣言するほど傲慢ではないので、個人的思想を消極的親米保守主義と便宜的に自己規定している。
現在の日本において、反米保守主義政治を成就させるには、ハードルが高く、現実的ではない、「理想主義」であると思う。日本は、憲法を改正し核武装をする覚悟をして、きちんとしたインテリジェンスを持ったうえで、国益を最優先する真の保守政治家と、国際社会を認識できる選挙民によってのみ、反米保守主義は成立するものであると考えています。
日本に親米保守政治の路線を引いた張本人である宰相:吉田茂の選択は、間違っていなかったと思う。敗戦後荒廃した国家を建て直す選択としての、親米保守政治は非常に現実的な選択であった。東西冷戦下、軍事的負担をアメリカに肩代わりさたことにより、経済再建を優先することができた。吉田茂は、「戦争で負けても外交で勝ったこともある」とか「金さえ儲かれば条約でも何でも結ぶ」とGHQに対して放言をした伝説からも、吉田茂の姿勢が窺われます。
日本国憲法の果たした役割は、昭和26年のサンフランシスコ平和条約締結当時の時勢からすれば、非常に現実的な選択であったと思う。平和条約締結と同時に結んだ日米安保条約改定前にさっさと改憲するべきであったのが残念である。60年安保反対闘争の時勢の空気を知らない世代である私からすると、空理空論かもしれないが、朝鮮戦争終結後55年体制が出来る前に改憲するべきだったのだろう。
自民党の中でも改憲派として、鳩山一郎、河野一郎、岸信介が存在したが、改憲は果たせなかった。大勲位:中曽根康弘氏は健在だが、2代目3代目達ときたらまったくデキが悪い。現役では中川秀直、平沼赳夫だが、正直頼りがいが無い。
江藤淳は、この改憲を実行しようともしない自民党政治に幻滅した保守主義者であり、「閉ざされた言語空間」(文春文庫)において、不法な状況下で新憲法が想起され、米国が極東軍事裁判の正当性を保つ為、占領下日本の検閲を周到に用意し実行されたか告発している。GHQによる検閲がもたらした、日本人の自己破壊の増殖が、今日自民党を跋扈する、護憲派親米保守議員たちである。
改憲を阻んできた、吉田茂の流れを汲む池田勇人、佐藤栄作、大平正芳、宮沢喜一、現役では加藤紘一、河野洋平、山崎拓、古賀誠、谷垣禎一(名前を打ち込むだけで無性に腹が立つ。)安倍晋三は、村山富一誕生に手を貸しているので、純粋な改憲派ではない。護憲派の議員は、保守主義者に分別していいものか疑問が残るし、親米主義者であるともいえないメンバーだ。
反米保守が、嫌米主義者ではない記述を発見した。江藤淳は、「保守とは何か」(文芸春秋)において、日英同盟が対等な同盟関係であったのは、日清・日露の戦役で勝利した愛国的軍、板垣退助らの自由民権運動以来の政党政治、旧制高校出身の官僚があって上に天皇がいて、国家としての体をなしていた。日米同盟はその点及ばない。日米同盟において対等な同盟国として責任感をもって行動するのであれば、21世紀の半ばまで心配のいらないのではないかとの内容を著しています。
江藤淳がとりあげた「南洲残影」の西郷像と、司馬遼太郎の「翔ぶがごとく」の西郷像には、多少の差異はあるが、合成された私の西郷像は、維新前の西郷も超現実主義者でもあり、革命者でもあり、同時に維新後は保守主義者であった。維新後の西郷は、滅び行く武士階級の守護者として祭り上げられ、太政官政府に対して後の民権運動や大アジア主義思想へ連なる、反政府の保守主義者と定義できる。
玄洋社:頭山満は、日本における民間の国家主義運動の草分け的存在となり、後の愛国主義団体や右翼団体に道を開いた。その思想はやがて、226の青年将校=陸軍皇道派、そして三島由紀夫へと受け継がれていった。理想論的保守主義(現在の反米保守)の源流は、彼らが保守した思想とは水戸学的尊皇攘夷運動の残像であったかもしれない。
保守の思想は、けして守旧の発想ではなく、国家開闢より続く伝統に裏打ちされた現実主義の政治でもあり、明治期の反太政官政府主義、大アジア主義、更には、明治期に新たな思想としての武士道も含まれるのではないだろうか。三島由紀夫や、江藤淳、小林秀雄、西部邁、西尾幹二の思想それぞれが保守主義であることに間違いは無い。例えば西部邁氏が、真正保守思想と自称するのも理解できるが、保守思想を細分化した故に、不毛な対立を招くことだけは避けてもらいたい。
保守主義とは ブログ版-2http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/10752004.html
私の場合、幕末から明治期にかけての歴史観は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」〜「翔ぶが如く」〜「坂の上の雲」により形成されてしまっています。どうしても、幕末から明治期を俯瞰する上で、司馬史観のフィルターを通して江藤氏の作品を評価してしまいますが、最晩年に残した「南洲残影」( 文藝春秋)1998年は、帝国陸軍の本質にせまる、江藤氏の慧眼があったと思います。
しかしながら、西郷隆盛の死と、三島由紀夫の死、そして江藤淳の死はそれぞれ殉死ではあったが、それぞれ違う対象に殉死したと感じています。誰一人天皇陛下の御為に自刃したものではありません。南洲公は特権を剥奪された旧武士階級と、薩摩藩島津家のルサンチマンを鎮護する為に、英雄として殉死した。その結果、真の近代日本の誕生したものである。
三島に対する私の考え方は揺れている。保守主義が、親米保守(現実主義)と反米保守(理想主義)の溝が深まるにつれ、三島が夢見た然るべき日本の国体とは、如何なるものであったのか?米国の属国である日本の現状を三島が憂えたことは十分共感できる問題であった。その側面で三島は評価されるのであるが、日本が置かれた地政学的立場や、経済政治構造を踏まえた上で、三島は真剣に国を憂いていたのか私は疑問に思っています。
自衛隊に決起を促すより、日本国民に向かい、真の独立国とは何か?米国より脱却する覚悟があるならば、憲法を改正し、核武装を行う自覚・覚悟ができるまで、その作品によって日本国民を先導すべきであった。そして、今日まで命を永らえていたならば、私も、消極的な親米保守主義の看板を掲げることなく、反米保守主義者でいたかもしれない。結果として、彼の方法論が空想の域を出ることは無かった。
三島は、反米保守主義ではあるが、尊皇攘夷主義者でもない。三島は昭和天皇より、226事件の青年将校達へ、強い憧憬を持っていた。国士であるはずの、青年将校達が持つ彼らの無謀な空想主義を昭和天皇はその英邁な現実主義で葬り去ってしまった。三島の一連の昭和天皇に対し不敬な発言と「仮面の告白」の三島像すべてを勘案し考察する限りにおいて、三島の死は自己愛に殉じたものであると評価したい。
儒教論語と大アジア主義を語るのであれば、道徳教育を受けた江戸期の武士階層と明治〜戦前の高等教育を受けた知識人軍人階級であるならばその共通規範は論語であり、大アジア主義者達は、皆論語の影響をつよく受けていることも事実である。ところが論語の本場である中国人が論語の理想に程遠い「無規範な民族」であることを見落としていた。そのことが、悲劇のはじまりで、第二次大戦の遠因でもあったと思う。武士道の聖書、葉隠れの主題である、理想的な死こそは、武士道の根幹を成す目標でもあった。
江戸期以前の武士は保守思想ではなくリアリストであったかもしれないが、日本の保守思想の根源を求めるのであるならば、太平記の楠正成、貞永式目の北条泰時まで遡る必要があるだろう。伝統的思想の基盤の上に論語が何世代にも渡って武士階級を教育していった結果が、武士道であり、保守思想の根源であった。尚、近代保守思想の根源に留めるなら、尊皇攘夷運動こそ、のその始原である。
幼少期に母親を亡くした江藤淳の精神思想には保守思想とは別に、常に自分を満たしてくれる愛を求め続けたのではないか?と感じさせられるものがあります。「妻と私」を読む限り、妻をなくして呆然とした初老の普通の男性の戸惑いがあるだけで、思想的破綻は全く感じない。「南洲残影」は、鎮台軍と、薩摩武士団の憧憬と憎悪が並立するその帝国陸軍の生い立ちと、226事件の底流に流れる滅びの美学、死への憧憬を三島の死に見つけたものであるが、江藤氏も死に対して憧憬があったのかもしれないが、江藤氏は愛に殉じたものである。江藤氏の保守思想の破綻との説にはまったく同意しかねる。
今週、文春文庫「山下奉文」(やましたともゆき)昭和の悲劇:福田和也(2008年4月)
を読んだ。山下奉文といえばマレーの虎「イエスorノー」エリート陸大卒であるにもかかわらず、東条英機らの統制派に組せず自らの出身母体である貧農出身の青年将校に同情し皇道派に担ぎあげられた経緯、第一次大戦を観軍武官として欧州で過ごし、欧米の力量を知りすぎ、最後まで開戦反対派でもあった。この山下像は、司馬史観とは別な視点、また山下将軍について様々な角度から検証された本であった。
所謂シンガポールの華僑虐殺事件を命じたその背景、悪役として演じなくなくてはならなかった憲兵達の苦悩を、改めて知りました。アジアの団結に程遠い状態で英米を相手に戦争突入してしまった日本。薄氷を踏む戦いに勝利し、大英帝国の終焉に立ち会わされ、晴れやかな気持ちとは裏腹に非力な日本陸軍を引き入らざるを得なかった山下将軍。フィリピンで絶望的な状況で少しでも将兵の消耗を減らす為の戦術を取らなくてはならないその絶望、慮ると苦痛です。
傷病兵を脱走兵と誤認して殴打した逸話も、苦痛ですが、我々死とは程遠い環境で、戦時中の善悪を弾劾できるものではない。そして戦犯として、自刃せず、作業服で処刑された山下将軍の死も、「南洲残影」に見る、陸軍大将西郷隆盛の死と繋がるものを感じました。なかなかの力作ではありました。
偉大な先達の血の上に今日の日本の礎があるにもかかわらず、憲法9条を守れと、叫ぶ護憲団体の人達は、そうした先達に対して敬意を払うどころか侮辱を重ねています。護憲団体は、革新系の人達と世間一般では呼ばれていますが、ある意味では、護憲団体も広義の意味では保守・守旧派であるといえよう。しかし、こういった人達を保守主義者とは呼びません。
井沢元彦さんの「言霊」「穢れと茶碗」などの著作によれば、古来日本人は、「死=穢れ」の思想を持ち、死につながる軍事は穢れたものと見なされ、平安時代の日本は、死刑も廃止され、国家として常設軍を廃止してしまった。これが平安末期の源氏と平氏の勃興につながるのだが、憲法9条はこの古来よりの日本の思想と合致してしまった為、容易に改正できない大きな理由でもある。護憲団体は日本古来の伝統思想に裏打ちされた保守的思想の団体とも思えます。改憲が未だに実行できないのは、GHQやその後のCIAの暗躍の成果ばかりではない。
公明党=創価学会に至っては、宗教保守であり、226の北一輝は法華経の信仰が深かった。
日本における保守主義とそうではない境界は、時代により異なる仮説も成り立つが、保守する思想対象を持ち、急進的に変革に向かう思想に対して制動する思想であるように感じます。
それでは、「2008年を基準とした保守主義とは?」と考えると、反グローバリズム=反米主義=愛国主義(反米保守)、反グローバリズム=反米主義=親中国主義=新大アジア主義、愛国主義=反中国主義=親米主義(親米保守)、反グローバリズム=愛国主義=親米主義、・・・。組み合わせによって、自称保守主義者の思想を定義分類する意義が曖昧と感じる時代ではある。保守主義をあえて定義するのであれば、少なくとも天皇制を基軸とした国家体制を維持していく思想であると定義したい。
共産主義がソビエト連邦の解体とともに終焉したにも関わらず、現在も尚、環境原理主義や、(反原発主義者は今はいずこ?)護憲団体、反グローバル主義、新大アジア主義を隠れ蓑として、中共や半島の走狗としてゴキブリのごとく生きている腐れ左翼こそ、思想的な行き詰まりの権化である。そして、自分達の思想の崩壊を棚に上げ、場外から保守主義を罵倒しているのではなかろうか?
以上保守主義について雑談31に掲載されたものをブログで編集し直し掲載したものを、雑談板32に再掲示します。