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(回答先: 美しい立論だ。 投稿者 松浦 日時 2008 年 6 月 20 日 01:26:19)
総括後に松浦殿の投稿に気がついたので、少しだけ補足しておきたいと思います。
松浦殿は『歴史風俗的不連続の上に立つ近代化に保守主義のコアはない』『保守主義者の自己喪失と敗北』との説ですが、戦後教育の賜物のような歴史観をお持ちのようだ。
今日読まれることが無くなった太平記の湊川の戦いにおける楠正成に共感する美意識を理解していなければ、西郷や三島の死を理解することはできないだろう。保守はイデオロギーではないことは「保守論談議総括」で説明したので割愛する。
『権力の全面肯定の中にある日本の体制の内には、賊は居ても義の伝統はなく、この国では原理的に義士は体制の外にしか存在しない』との認識では、明治維新が成し遂げられた歴史と矛盾をする。
外様大名の島津斉彬を権力の外と定義するのであれば、それも可能であるが、「尊王攘夷運動」の柱であった水戸徳川家の徳川斉昭そして、その実子である15代将軍徳川慶喜の大政奉還を説明するには貴殿の説では矛盾する。
近代保守主義の始原として、権力の全面肯定した朱子学よりの派生した、水戸光圀による、忠と義を追及した学問水戸学の存在を認識されていないようです。水戸学は「尊皇攘夷運動」へ発展し、明治維新が行われたのであります。近代保守主義が守旧派の頑迷な思想ではなく、変革をもたらした思想である認識に欠けている。
松浦殿は保守主義者が官僚の擁護者であると思い込んでいる様子だが、今日保守主義者が官僚の擁護をしている言説は稀有である。いったい松浦殿は何新聞をお読みなのか?
「日銀券の停止議論」は5.6年前のリフレ議論のなかで、福井日銀総裁就任前に日銀と大蔵省の権力闘争の余波で議論された旧聞だ。通貨供給を渋る日銀に対し、500円玉以下は財務省管轄下である故に、財務省側の一つのブラフにすぎなかった。懸念する必要ない。
スジャトモコ 司馬遼太郎の逸話については残念ながら当方の勉強不足なのか認識が無い。出典を明示していただければ、書籍入手後司馬氏の真意を検証し言及したいと思います。この時点で推測すると司馬先生が、「第三世界のことを考えたことが無い」など発言するとは思えない。少なくとも街道をゆくシリーズで「韓の国紀行」「台湾紀行」「南蛮のみち 1 」「南蛮のみち 2 」「南蛮のみち 3 」を出版している。
『日本の保守の低質さは目を覆わんばかりなのだが、ご都合主義の「国民の物語」が生まれた時から期限切れの空理では、言わずもがなだったのだろう。』保守の対義語が革新であるならば、日本の革新主義者の低質さは目を覆わんばかりだ。
ソ連邦崩壊後、その虚構が暴かれ、今日革新主義者としての発言は絶滅に近い。革新主義の伝統である反日言論活動は、韓国中国世論を炊きつけ、保守主義を攻撃。また、反原発運動などにも加担するが温暖化問題で、反原発をうやむやにして最近では環境問題に活路を見出しているようだ。朝日新聞のように鳩山法相を死神呼ばわりする奴らは、断じて許せない。
貴殿は朝日新聞を擁護しますか?「保守」の対義語が「革新」=「朝日新聞」であるならば、貴殿達の主張はまったくお話にならない。美しい立論だと勝手に思っていればいい。