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(回答先: Re: 保守主義とは -だからそれは空念仏であり、空疎なスローガンに過ぎないって 投稿者 影の闇 日時 2008 年 6 月 16 日 00:35:31)
歴史風俗的不連続の上に立つ近代化に保守主義のコアはない。選択の余地のない日本の宿命の中を生きた二人の保守主義者の自己喪失と敗北は端から決まっていたわけだ。
それなら、近代化を全面的に否定できたかといえば、そこは保守本来の迎合現世主義の悲しさで意思も能もあるはずはなく、内向の末の自己処分となるのだが、そこが生の最期まで醜を晒して煩悩に生きる大半の保守との違いであり、せめてもの矜持かと問われれば、凡そそれもあり得ず、例えば江藤の葬儀の出棺の折に小沢と石原が左右に並んで立つことからも明らかなように、死してなお義士にはなれなかった。
そもそも、権力の全面肯定の中にある日本の体制の内には、賊は居ても義の伝統はなく、この国では原理的に義士は体制の外にしか存在しない。
したがって、天下り利権の肥大化を歴代の業と成し、電電公社を始め公的機関の切り売りを保守党と組んで先導した挙句に財政を破綻させた大蔵財務官僚共が、日本銀行券の停止をもって国を救うのだと夢想することが、如何に賊の所業か明白なように、民主制の確立も適わないのを「国柄」と言って憚らない輩の自己愛的自画像は、ひたすら醜悪な虚妄でしかない。
80年代半ば、とある国際シンポジウムの折、当然のように第三世界問題が議題になったのだが、その席上で当時の国連大学学長スジャトモコ(インドネシア人)に対して、司馬が第三世界についてこれまで考えたこともなく今日は目から鱗が落ちたと発言した。人選が誤っているのは明らかだったのだが、余りの事に唖然とすると同時に怒りが込み上げてきたのを覚えている。日本の保守の低質さは目を覆わんばかりなのだが、ご都合主義の「国民の物語」が生まれた時から期限切れの空理では、言わずもがなだったのだろう。
今さら復活はない。あれば、この国そのものが空理の闇に沈んでゆく。
実に分かりやすい立論に貴方のセンスの良さを感じる。この手の文学的小状況については齟齬はなくて気楽でいいのだけど。ふと、日常的に口頭で会話をしてみたいものだとも思う。heartさん(稀有な精神の率直さを持つ人)も居なくなったのだし、この掲示板との関わりを止めにしたいのだが、貴方のせいでまた書いてしまったのは困ったものだ。