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(回答先: 分析:影の闇殿の保守虚妄論の虚構 投稿者 Ddog 日時 2008 年 6 月 20 日 01:45:30)
Ddogさん、こんにちは。
レスをありがとうございます。
>>私の記憶では天皇陛下の憲法擁護発言があったのは2006年の正月の年頭の挨拶であったと思う。今上天皇陛下は国民の象徴であることを憲法で規定されているのだから、当然のことを言ったとの印象であった。昭和天皇も戦前から順法主義者の姿勢は一貫されていた。今上天皇が、平成6年以前に憲法擁護発言をした資料は検索できなかった。
>嗚呼!「即位後の朝見の儀における発言」あったかもなぁ。確かに20年ほど前にチラリとそんな議論が起きたような・・・、申し訳ないが記憶に残っていない。保守の論壇ではさほど取り上げられなかった気がします。
拙稿「現天皇による現憲法擁護発言」はDdogさんの[>>]に応答したものでしたが、それにたいするレスが[>]なのでありますか。ご自分では事実確認をされないおつもりなのか、さすればDdogさん自ら会話(議論)のレベルを設定してしまったことになるのですが、よろしいのでしょうか。
>「何かしら“思想家”江藤淳の心中には突き刺さるものがあった」のなら、この2冊に1行ぐらい言及すべきはずだがまったく無い。本当に、影の闇殿や彼岸楼殿は江藤淳の著作をどの程度読み込まれたのか疑問です。今から釘を刺しておくが、反論に「言及できないほどのショック」と書いたらそれは詭弁であると断言する。
前項との関連から、これに類する文面のものには回答すべき謂れが思い当たりません。
>保守とは、気分であって思想ではない。「守りたい気分」である。それゆえ矛盾を内在するものである。影の闇氏が思考の迷路にはまり込み、江藤淳並の頭脳を持ち得なかった為に「虚妄」などという安易な言葉で理解しようとした理由であった。
“保守とは、気分であって思想ではない。” と、Ddogさんは再三繰り返されているが、そもそもそれが江藤淳の文脈(思想)を毀損せしめることになってしまうことにお気づきではないのだろうか、婉曲ではあるが影の闇氏が幾度となくそれを指摘しているというのに。「日本人は思想したか」と云った丸山眞男の問いを暫し脇においても、また影の闇氏が江藤淳を思想家と見做そうとしていたかは断じ得なくとも、少なくとも江藤淳の文脈(思想)をトレースして来た結果として、それは「成熟」せずに「挫折」したとの見解に至ったものであり、個人の表現様式や表現能力を論評している訳ではないでしょう。
>影の闇殿の「江藤淳が保守思想の破綻による自殺である」とか、司馬遼太郎先生に対する侮辱的な態度、傲慢極まりない論評は、読書人として看過できるものではございません。
私は江藤淳の自死は極めて“私なる死”であり、“公なる死”であるかどうかについてはあまり詮索するつもりはありません。ただし、影の闇氏の「保守思想の破綻による自殺(自裁)と見るべき」との捉え方は、少なくとも江藤淳の投企(思想的活動)を認めているが故のことだと受けとめたのですが、“保守とは、気分であって思想ではない。”と言い放って憚らないDdogさんには理解や受容することが難しいのかも知れません。
>司馬遼太郎ファンの圧倒的多数は、この理不尽な社会で必死に生きてる、我々サラリーマン世代であろう。新左翼として社会の底辺を這いずり回っている連中の中にも司馬先生の本を愛読していても不思議ではない。なぜなら司馬先生は国民的作家だから・・・。
周縁の事象を言挙げしてみたり、思考の同心円の中心に“気分”を据えるなどしてみたりと、一体何を論じ、何を主張しようとされているのか、よく判らない所作だと感じます。
Auf Wiedersehen.