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(回答先: 分析:影の闇殿の保守虚妄論の虚構 投稿者 Ddog 日時 2008 年 6 月 20 日 01:45:30)
>西南戦争は、薩摩に戻った藩士達の大久保や川治大警視に対する私怨、勝者であるにもかかわらず、成>果の配分の不公平感がその動機である。
あ〜あ司馬史観!wwwww
これじゃ丸で、西郷軍は私利私欲優先の欲ボケの集団だろうし、西郷隆盛は限りなく卑小に見えてくるではないか。 だってこれでは、今風に直せば、「維新の大業」を為しながら、かかる欲ボケ集団の思惑に引きづられて、晩節を汚した「改革者」ということになり、結局その原因は守旧派のメンタリティの持ち主であったからーということになる。 つまり、分け前にあり付けなかったさもしい連中、及び(サムライ族という)既得権益を侵されたギョーカイの、元祖「族議員」のボスというイメージ。
勿論西郷を全否定するのは維新そのものをも否定することになって仕舞うから、あくまで西郷は、十分魅力的ではあるが、新時代に適さない、古い時代の、「ラスト・サムライ」として。
ーこういったイメージは一体誰にとって望ましいものか?考えてみるがよい(マインド・コントロールされていては、まぁ無理かw)
第一に彼等を葬り去った政権及び体制側、そうして「西欧化」を不動の指標と信じて疑わない、司馬遼太郎の如きモダニスト達であろう。
そもそも、もし本当に当時そのような見方が一般的であったら、その後の「西郷人気」なるものは在り得なかっただろう。 「西欧化」によって失った道義の体現者として、更には在り得たかもしれない日本のもう一つの道の導き手として、国民レベルで認知されていたからこそその後の日本の行方にも大きな影響力を与えることになったーと見るべきである。
>福沢諭吉「学問のススメ」はベストセラーではあり「脱亜入歐」のスローガンが全てであるかのごとく>の浅薄な明治時代の認識
何故わざわざベルツの日記を出しておいたのか、全く解っていないようだな。 そのススメられた「学問」を学ぶ「生徒達」が如何なるメンタリティにあるのか、教える側からの証言だ。 将に「脱亜入歐」を実践する「新日本人=新西欧人」そのものであることをな!