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その批判
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投稿者 Ddog 日時 2008 年 6 月 18 日 01:13:28: ZR5JcjFY1l.PQ
 

(回答先: Re: 保守主義とは  -だからそれは空念仏であり、空疎なスローガンに過ぎないって 投稿者 影の闇 日時 2008 年 6 月 16 日 00:35:31)

『(お前さんと同じ様に)現実主義の立場からその三島の死を否定したのが江藤淳だったのだが、しかしながら、「南州残影」をその批評活動の終わりにすることによって、その立場の無効を認めた、ことになった。即ち、戦後過程において、彼が主張した「保守」という立ち位置は虚妄であったということが「南州残影」の執筆の動機(直接の切っ掛けは現天皇の憲法擁護発言)であろうし、』

今上天皇陛下は、現状の日本国憲法により国家の象徴であると定められている。天皇陛下は革命思想家ではないので、現憲法を肯定してなんら不思議ではない。「南州残影」の執筆の動機が何であれ、江藤淳の「保守とはなにか」では、保守はイデオロギーではないと断言しているので、元々実体が無いと本人が肯定しているのに、虚妄であると失望して書いたとの説には同意できない。

『西南戦争と日米戦争を繋ぐ事によって、戦後ばかりか、「脱亜入欧」を選択した近代日本において、そもそもが「保守思想」は成り立たなかったということー戦後過程を、あくまでも現実主義者として向き合った江藤氏の次の言葉こそその痛切な覚醒が表れてるーと見るべきだろう。 』

西郷隆盛が守ろうとしたものは島津斉彬の遺訓であり、滅び行くエスタブリッシュメントとしての武士的価値観であったと思う。
故に『「文化の全的滅亡の前には保全出来る現実などない」(南州残影) 』となるのだ。

『「日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、抜け目がない、或る經濟的大國が極東の一角に殘るのであらう。」(私の中の二十五年) 』
それも確かに真であるが、
『一体、<守るべきもの>が無くなっても「守るべきもの」とは何?「保守」つまり保ち守るべきものが無いからこそ確固たる立ち位置というものはなく、残るは状況追随、即ち保身しかない。』

日本の歴史と思想史をもう一度勉強し直し給え。 大和朝廷成立から、仏教の導入、大化の改新、鎌倉幕府成立承久の乱、南北朝時代、戦国時代、江戸時代、明治維新、第二次大戦敗戦、日本はそれこそ常に変化し続けている。日本の本質でもある。この改革を行ってきた日本の知恵が保身という言葉で置き換えることが可能なのであるか?Ddogは疑問であるし、闇の影殿の認識不足としか言いようが無い。

『バーグの「保守主義」は、日本には全く適用出来ない。 何故なら、依拠すべき伝統や慣習等総じて文化を無意味・無価値なものとして捨て去ることこそ<近代化>だったのだから過去の延長線上に未来を切り開いて行く西欧とは、その点において決定的に異なっているのだ。』

バーグの保守主義は日本に適用できないのは同意する。だが、日本における近代化=西洋文明の日本化の歴史でもある。
日本はその伝統的エーストを捨て去ることはしていない。明治期に学校制が始まりにあたり、日本人を新日本人として西洋人化する目的で開始されたが、その教師となった老先生達は皆論語の素養を弟子である生徒達に熱心に教育し、生徒達も皆その思想的道徳的素養が、明治維新という近代化を成立させたものである。福沢諭吉「学問のススメ」はベストセラーではあり「脱亜入歐」のスローガンが全てであるかのごとくの浅薄な明治時代の認識では、闇の影殿の素養もたいしたことがない。

『それは、お前さんが得意げに「保守思想」の源流と位置付ける<尊皇攘夷>が、維新以後、事実上棄却されたことに現れておる(西郷の決起はそれ故だ)。 それに替わる体制イデオロギーが<脱亜入欧>ーこれが<脱夷入華>、即ち東の果ての野蛮人から脱し、文明世界に入って行くという意味であり、<攘夷>、即ち東の野蛮人(=欧米)を撃ち払うとした立場からの180度転換である事は明らかだろう。ー<夷>の意味が全く逆転したのだから。 』

西南の役で暴発した薩摩藩士は、尊皇攘夷のイデオロギーとしての尊皇攘夷を重視したものではない。薩英戦争を機に攘夷の旗印は捨てている。攘夷のイデオロギーで暴発したのは、熊本の神風連の特殊な例を除くと、ほとんど無い。萩の乱や佐賀の乱の直接的動機は経済的困窮であった。西南戦争は、薩摩に戻った藩士達の大久保や川治大警視に対する私怨、勝者であるにもかかわらず、成果の配分の不公平感がその動機である。

『そうして、1930年代、近代日本が危機を迎え、<西欧化>そのものに疑問が生じた時、それまで顧られなかった<攘夷>の思想が突然蘇ってきて、対欧米の戦争へ雪崩れを打つ状況に威力を発揮した、ということだろう。』

大アジア主義の勃興のことを言いたいのか?日清戦争とその後の3国干渉そして日露戦争。日英同盟の締結で一時西欧への不信感は緩和された時期はあったが、大日本帝国は一時たりとも西欧列強への警戒心は解いていない。大正期における八八艦隊構想空前の国防予算、それが軍拡を制限するワシントン条約、ロンドン条約ににて不信感がつのった底流には尊皇攘夷思想が確実に流れていただろう。

 『そうして、敗戦後は更に全面西欧化(アメリカ化)が進み、それまで以上に忘却の彼方に沈んだ、ということだ。分るかね? <近代化>に立つ限り、要するに「司馬史観」に立つ限り、<尊王攘夷>とは相容れない。 』あんたが言いたいであろうことはわかるが、司馬史観と尊皇攘夷が相容れない根拠が不明だ。説明になっていない。近代化≠尊皇攘夷はある意味正しいが、日露戦争に勝利してもなお攘夷思想は保たれた。

大アジア主義の頭山満から、大川周明、石原莞爾へ連綿とその思想は保たれていったのはなによりの証拠であろう。

今日はここまで、明日以降さらにこの続きを書く予定ですが、今日はここまで。
 

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