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(回答先: その批判 投稿者 Ddog 日時 2008 年 6 月 18 日 01:13:28)
影の闇殿は、江藤淳の「南州残影」の執筆の動機を『直接の切っ掛けは現天皇の憲法擁護発言』など書かれていた。
私もなぜ、江藤氏が、西郷隆盛を取り上げたのか疑問に思っていた。その執筆の動機には確かに魅力的な知的好奇心を刺激されるものがあったのでいろいろと調べてみた。
「南洲随想」(文芸春秋:1998年12月)に、「南州残影」(文芸春秋:1998年3月)を書くいきさつ、その南洲公について書きたいその主題について触れてあった。以下は抜粋。
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平成6年「文学界」編集長(寺田編集長)が鎌倉の拙宅にやって来て、「西郷南洲のことを書いてください。是非お願いします。他に書き手はいません」といった。・・・略・・・うまく図星をさされたという想いもあった。永い間避けてきた難問をずばりつきつけられたという意味である。(p14)
そのエトスは結局、西郷が明治十年(一八七七)二月十五日、熊本鎮台司令長官に送つた照会書の文面にある、「拙者儀、今般政府への尋問の廉有之(かどこれあり)・・・」という一語に集約されている。「政府へ尋問の廉」があって西郷は挙兵し、なおも「尋問の廉」があるために最後まで屈せず、薩軍将兵とともに亡びて行った。それこそ西郷が言葉ではなく、
身を以て語った思想であった。
その想想が、マルクシズムよりもアナキズムよりも、近代化理論やポストモダニズム
よりも、はるかに強力で日本人の琴線に触れている(P26)
つまり、日本人は、日本人の身に合った政治体制を持たねばならない。しかも、その政治体制は当然、近代の国際杜会に国を立てるに適した政治体制であり、これが日本人の生き方、これが日本人の価値観であると納得できる政治体制でなければならない。
アメリカ人はアメリカン・ウェイ・オブ・ライフということをよく言います。宗教、人種にかかわらず、一旦、米国市民になった人はみんなアメリカン・ウエイ・オブライフというものが、世界で一番自由闊達でいいものだと思う。しかし、日本はアメリカより十倍も古い国です。(p40)当然、ジャバニーズ・ウェィ・オブ・ラィフがないはずはない。
西郷は単なる嚢夷論者では決してあり得ない。軍人としても、政治家としても国際杜会に決して眼を閉ざしていなかった。そんな西郷にとって、蒸気機関車を持ってきて、鉄道を敷いてガラガラ回せば日本が近代国家になるというのは、虚偽に過ぎない。日本人が「外」に合わせていくだけでいいのか-という気持があったのでしょう。
村田にも、大久保に対する批判があった。その辺で、明治維新の改革は、初めからど
こかが一目盛りずれていた。
西郷にしても村田にしても、何もちょんまげをいつまでも付けていろとは言っていない。徴兵令を実施し、近代的な兵制を作り、学制を公布したのは、全部留守部隊の西郷のやったこと。そんな彼らが「拙者儀、今般政府へ尋問の廉有之」と言うからには、立国の根本に対して自分は考えが違うと言いたかったのではないか。立国の根本とは、国民の気概、国民のプライドだと言いたかったのではないか。(つまり、ペコペコするな、猿まねをするな。必要があれば、みんな洋服に変ってもいい。それはまあ、今の言葉で言,えば「グロー
バル・スタンダード」ということなんでしよう。しかし、グローバル.スタンダード(p41)などというものは実は存在しないんだ。これはデ・ファクト(事実上の)・スタンダードに過ぎないんだ。だから、こちらに言い分があったら通せばいいじゃないか。気に入らなければ反対すればいいじゃないか。そういう気持が、西郷には大久保に対してあったんじゃないのか。
大久保の方は、西郷ほどの人が何で自分たちが見てきたことの重要性を理解しないのか。幾ら精神論をやったって、国なんて立つもんじゃない、と言いたかったんでしょう。
そのような、明治元年から十年までに伏在していた大問題に、日本人は今、平成十年の春にして、もう一度直面している。そういう感じがするのです。
ところで、問題は、じゃあ、そこで西郷みたいな人がいるかというと、一人もいない、というところにある。(p42)
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以上のように、江藤淳の「南州残影」の執筆動機らしき箇所を抜粋した。
1冊ほぼ先ほど読破したが、影の闇殿の主張する江藤淳の「南州残影」の執筆動機「天皇の憲法擁護発言」など、「南州残影」上程半年後に書かれた「南洲随想」には一言も触れていない。
読めばわかるが、平成10年の世相を細かく評論した一冊であるのである。「天皇の憲法擁護発言」が1行も書かれていないということは、影の闇殿の主張する江藤淳の「南州残影」の執筆動機は全く的外れもいいところである。
悪く言えば、自説に都合よく曲解したご都合主義的執筆動機を勝手に思い込んでいるのだろう。
私も、江藤淳氏の著作全て読んではいないが、影の闇殿のイメージする江藤淳と、江藤氏の著作内容にはだいぶ乖離があるように思えてならない。
私の記憶では天皇陛下の憲法擁護発言があったのは2006年の正月の年頭の挨拶であったと思う。今上天皇陛下は国民の象徴であることを憲法で規定されているのだから、当然のことを言ったとの印象であった。昭和天皇も戦前から順法主義者の姿勢は一貫されていた。今上天皇が、平成6年以前に憲法擁護発言をした資料は検索できなかった。影の闇殿の曲解する説は、どうも根拠が薄いように思える。
残念ながら、影の闇殿が主張される『直接の切っ掛けは現天皇の憲法擁護発言』などの説は、自分の思想に無理やり押し込んだご都合主義の執筆動機ではないだろうか?
影の闇殿はすべて、「保守」について自分の狭い思想の枠に押し込んで理解しているのではないだろうか?私はそう思えてなりません。
「雉も鳴かずば撃たれまい」お返ししておきます。
以上
P.S.
影の闇殿GJ!明日は、司馬先生を侮辱した段についてでも何か書いてみましょうか?
また楽しい反論お待ちしています!