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(回答先: Re: 総括??? 投稿者 影の闇 日時 2008 年 6 月 22 日 16:51:18)
「普通これを保守とは言わない」そうかそうか、ならば貴殿は江藤淳を保守主義者ではないと定義されるか!ならば貴殿の保守主義が虚妄という定義は何?まったく理論が破綻している。私を能力が無いと貶しておきながら、自分で赤っ恥な理論破綻をさらけ出した。読み返して「しまったと」思ってはいないか?
保守主義者は守旧主義ではない、現役の保守陣営の論壇で彼らが何を言っているのかよく確認することだ。青山繁晴 ・井沢元彦 ・勝谷誠彦 ・櫻井よしこ ・中西輝政 ・西尾幹二 ・西部邁 ・福田和也 ・渡部昇一 各自の主張はそれぞれに違うが、守旧派がいるとでもお思いか?彼らは日本をどう変革するかを主張しているのではないか?
貴殿理論で言えば、守旧派の保守主義者は浜田幸一氏ぐらいしか該当しないだろう。
保守主義を一つの枠で理解しようとする貴殿の論理こそ誤謬であろう。
『変化し続けている。日本の本質でもある。 またまた大爆笑だな。www 』無理に笑う必要が無い。貴殿が日本人ではないなら笑わないが、保守主義を批判する最低限の「日本とはなにか」の知識が欠如しているのにはこちらが大笑いだ。
偽の友をあばけ殿へのレスで述べたが、貴殿は、日本が日本たる所以を理解していないようだ。
かつて西洋では文明圏を「キリスト文明」「イスラム文明」「東洋文明」の3つに区分していたが「源氏物語」を西洋に紹介したアーサーウェーリー(1889〜1966)が日本文明の独自性を言い出し、イギリスの歴史家アーノルド・J・トンビー(1889〜1975)以降文明を六ないしは七つに分類するようになった。そのきっかけは中国「日本文明」は「シナ文明」と明らかに別な文明であると確信したことによります。
「西欧キリスト教文明」「ロシア正教文明」「イスラム文明」「ヒンズー文明」「中南米ラテンアメリカ文明」そして「日本文明」と「シナ文明」を区別しました。この考え方は「文明の衝突」のサミュエルハンチントン(1927〜)にも継承され、社会学者のピータードラカー(1909〜2005)も同じく主張し、今日文明論の一つの分類法となっています。
隋・唐の時代強大なシナ文明に飲み込まれず、元寇にも耐え、戦国時代の混乱期に、スペイン・ポルトガルの進出を拒み、江戸期に鎖国できたのも。白人支配の世界の中で植民地にならずに済んだのも、地理的環境もありましたがそれだけではありません。最大の理由は神話の時代から2000年変ることのない日本の象徴として継承されてきた天皇家にある。
江戸庶民の意識に皇室の存在が希薄になった時代はあったかもしれないが、日本のエスタブリッシュメントには常に強く存在し続けていた。また、網野善彦氏の説によれば、士農工商の外に置かれた非農業民、芸能の民は天皇直属の民である意識を持ち続けていました。
天皇家の存在無しに日本人としてのアイデンティティの確立はない。世界で2000年以上伝統が継承されているのはローマ法王庁と日本の皇室しかない。
縄文弥生時代から、日本列島の住民は外から取り入れたものを消化し続け、常に日本的文明に消化し変換しつづけている文明である。
七福神を見よ、中国インドの神様と日本の神様が宝船に乗っているではないか。WIN-WINの関係を築くには、古き伝統を積み重ね、常に変革し続けるのが日本の伝統でもある、そしてその日本が変化しても常に日本である理由は神話の御世から継承される皇室が存在している。
変らない理由は、すばらしいシステムであるからである。倭国大乱の時代を経て大和朝廷が成立以降、天皇家は強力な王権を持った時期は少なかった。なぜ天皇家が継続できたかの謎はここにある。
日本では、常に権力と権威の分散が図られてきたことによる安定的社会秩序が形成されてきたのである。藤原氏や北条義時、足利義満、織田信長は天皇家を廃絶しようと思えば可能であったろう。しかし誰もしなかった。
江戸時代の身分制度「士農工商」の序列だが権威と財力が反比例して社会の秩序を保っていた社会です。武士は貧乏ではあるが、学問武道を修め高い倫理観で生きる為、農民や町人から敬意を払われていました。最も権威がある天皇家は貧乏公家と言う言葉が残るくらい貧乏であった。これで日本の社会は安定します。
その為の天皇制でもある。中国や朝鮮の場合は権力=財力=権威の世界であり、嫉妬深い日本を統治するには天皇制の神話が必要不可欠な制度でもある。それ故存続したのです。
やれやれ、手取り足取り教えるのも疲れてきたので、今晩はここまで。