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(回答先: Re: 保守主義とは 虚妄 投稿者 影の闇 日時 2008 年 6 月 16 日 16:24:42)
『無知なのか、鈍感なのか?お前さんが不用意(?)に使っている「天皇制」という言葉(”32年テーゼ”ね)、それこそ民族派から言わせれば、左翼のマインド・コントロールが解けてない、ということになるんだがね,(つまり腐れ左翼ってことね)ww まぁ、徒し事はさておきーお前さんのいう「天皇制」というのは「近代の天皇制度」即ち英国流の「立憲君主制」と同様の意味と考えていいわけ? ーだとすると、その運命は、要するに英国王室次第ってことだな。 』
ハイハイ、天皇制とは「君主制」を意味するドイツ語の「Monarchie」の和訳とされ、本来はマルクス主義者が使用し、1932年のコミュンテルンテーゼで日本の絶対君主制を、ロシア絶対君主制のツァーリズムになぞらえて「天皇制」と表記したのがその始まり。日本共産党が使用した言葉だが、戦前では不敬罪に当たる言葉であった。それぐらいは誰でも知っているだろう。まさか私が知らないとでも思って鬼の首でも取った気持ち?保守とは何かとか、天皇についてこれだけ文章を書いている私も軽くみられたものだ。
「国体」とした場合、大日本帝国憲法下の天皇陛下を国家統治機構の前面にでた国家体制を意味する場合がある。戦後は「天皇制」という言葉は、古代以来の天皇と政治体制を意味する言葉として広く用いて認知された言葉だが、「国体」を用いると、それこそ無いものを護持するとか言い出しかねないので、あえて「天皇制」の用語を用いたがネ。保守主義を論考する議論の本論ではない「虚妄」というより「不毛」ないちゃもんだ!
『それとも祭司王(プリーストキング)を本に置く、所謂”お国柄”という意味で言ってるわけ? ーこの場合、その基盤である農業及び直系家族の衰亡と重なってしまう。 何れにせよ、お前さんが信じ込んでる程確固としたものではなく、内外の要因で、甚だしく不安定化する。 従って、当方の「保守は虚妄」という立場を強化するものでしかない、残念!www 』
闇の影殿が古代史についてどれほどの知識をお持ちなのかは存じませんが、私は、古代日本の成立に関して、関祐二氏の歴史観に心酔している。関祐二氏も神武天皇不実在説をとっているが、不敬でもなんでもなく、歴史の真実が解き明かされればそれで良いと思っています。卑弥呼はもともと「日の巫女」であったと個人的には思い、卑弥呼、神宮皇后、天照大神の関係に日本国家成立の鍵があると思っております。
天皇家という王家の成立の神話は神話であって歴史ではない。日本書紀、古事記に関してもその成立が、唐、高句麗、百済、新羅の国際情勢と、天皇家と有力家のパワーバランスで成立した歴史書であることを前提で認識しています。
もともと、天皇家の存在は、今日の天皇制と同様に、発足以来王権を持たない不思議な王権であったのは事実だろう。
貴方がいうところの、「祭司王(プリーストキング)」の側面を天皇制は有しています。
強い天皇家という時代はほとんど短期間の現象であった。確かに雄略天皇、武烈天皇の強力な天皇や、天智・天武天皇の頃の強い王権であった時期も無くはないが、神武の東征神話など、強い天皇家のイメージは、歴史的にプロパガンダされたのだと思います。実態は有力豪族の連合王国の祭司もしくは、合議制の為の王権としての天皇家であったろうと思います。
闇の影殿や、私と意見を異なる方々が、天皇制を「虚妄だ」とかどこの馬の骨かわからない者をありがたく敬っているとの、日本の歴史や伝統に対して否定したがる、「護憲団体」のような発言をされる方々は、戦前の皇国史観を指して攻撃の対象としていると察しています。闇の影殿は皇国史観=保守主義とでも思っているのかもしれない。
しかしながら、「天皇制」いやこの我が国固有の「国体」(国家体制)は有史以来連綿と続く正統性を有しています。継体天皇の正体は?天智天皇と天武天皇は本当に兄弟か?後小松天皇は義満の隠し子説まで様々な憶測はあるものの、神武天皇以来の皇統は今日まで続いています。世界でも、神話から続く血統が王権を司っているのは世界で唯一、日本だけである。
ローマ法王とは異なる英国王室とも異なるこの天皇システムがあったおかげで、どれだけ日本が救われてきたことだろうか。今日世界に対して圧倒的な誇るべき日本文化を成立させているすべての基盤にこの伝統的価値観を保守する思想の上に成立している。理解いただけるだろうか?その保守思想の核の部分は、天皇制(天皇制システム)であるといえよう。今日たとえ闇の影殿が意識しないにせよ、日本で生活している日本人であるならば、天皇システムの恩恵を被ったか計り知れない。
英国では保守とは既得権益を持った人間の感覚であってイデオロギーではないと江藤淳は説明します。「保守とはなにか」P19。名誉革命以降、英国では議会と王室が競争的関係を保ち、議会と王室との関係は慣習によるものとされていますが、天皇システムと異なり、王権は契約的な王権であって、神話から続く天皇家とは根本的に異なる。
江藤淳「保守とはなにか」において、戦後の新憲法や皇室典範の不備性を論じ、戦後憲法が出来たことで日本の保守主義は存続し得ない状況が作り出されてしまった、と指摘しているP26
「戦後の日本が保守の叡智を結集して、文字通り保守してきたのはやはり皇室であった。」憲法は変ったが皇統は続いている。P28
時には保守する為に大きな改革を行わなければならないこともあります。そこには理論の矛盾がある。保守主義の弱点なのかもしれない。しかし保守とはイデオロギーでなく一つの感覚だからやむをえない。人の世はすべて留め置くことはできない、と知ること。そして変えるべき点改めるを憚らない。これもまた保守的感覚の発言だろうかと思います。P28
江藤淳氏が定義する保守とDdog が定義した保守とは大差はないが、保守を定義する人物、時代によっては、その守るべきもの定義は異なると私は考えます。保守とは、イデオロギーではなく守りたい感覚にすぎないのです。それゆえ、西郷隆盛、頭山満、大川周明、北一輝、三島由紀夫、山下奉文、石原莞爾、江藤淳、小林よしのり、井沢元彦、西部邁、Ddogそれぞれに異なるのです。
保守主義は、虚妄であるとの洞察はある意味合格点ではあるが、優良可でいえばせいぜい「良」の回答であろう。私から言わせれば保守主義に対する考え方は、闇の影殿の認識は「護憲団体」といいとこ勝負程度だろう。
私が守りたいのは、日本の伝統、伝統的価値観、2000年の歴史、日本人に生まれて幸せであると思う気持ち。そのすべてに通ずるのが皇室であり天皇制であると考えます。そして、しいて言うならば、日本の伝統やその価値観を消化した、自分の価値観であろうと思います。
闇の影殿、次は私から質問です。具体的に天皇制もしくは保守のどこがどう虚妄であるのか理路整然と説明して欲しい。私が上で説明した理論とは当然お持ちだろうから、是非とも拝聴したい。私には、輝かしい日本の伝統と日本に生まれて幸せであるということを保守することが「虚妄」の一言で説明しようとする神経が解らない。
そもそも保守主義のなにが気に入らないのか?なぜ敵意を抱くのかその思想背景を伺いたいところだ。感覚的に天皇制いや皇室の存在がきにいらないのか? 説明を求める。