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「新しい歴史観」が跋扈している。
憲法無効論、慰安婦問題についての各種投稿を読む。
学問的な新説というより、
当時を知っている人が、少数派になりつつあるという背景があると思う。
以前は、この種の歴史論、アカデミズムの場では、ほぼ皆無だったろう。
それは、「進歩派教授」、「反戦平和派」が幅をきかせていたのではなく、
その歴史の中を生きた人、戦争を肌で経験した人が多かった、それだけのことだと思う。
積極的な発言をされている渡部氏は、語学(文学?)の先生だし、竹村氏然り、みな自身の専門外のことを語っているにすぎない。
彼らは、今まで歴史学会に通用するような学問的な業績を残しているのだろうか私は知らない。
専門の歴史の先生方は、巻き込まれるのがいやで沈黙している姿を浮かべる。
数学の先生が、高等数学をテレビの前の視聴者3分間でに面白おかしく、わかりやすいように説明しろといっても、尻込みするのと同じだろう。
感想を述べると、
「歴史を眺める感性」の欠如ということを思い浮かべてしまう。
想像してみ給え、戦争末期、直後の混乱を。
数百万人の同胞を動員してされた戦争が負けたのだ。
原爆を二発も落とされたのだ。
夫親兄弟が戦地から帰ってこない。
私の母の話だけど、フィリピンで戦死した彼女の兄の骨壷の中には、小石が二つ入っていただけだったそうだ。それが、ある日、菊の紋章入りのタバコと共に軍から届けられた。
同様の話は、日本全国どこでも転がっていたはずだ。
想像してみ給え、あなたの夫親兄弟が、戦死して骨壷で帰ることを。
親類縁者たちは、その悲しみを胸に秘めたまま戦後を生き、その多くは、すでにご浄土への旅を終えている。
家は焼かれ、預金封鎖され、無一文。
国家の権威、それを体現するハズの「国体」は霧散。
「現人神」が「人間」になる。
官僚、裁判官、マスコミ、宗教、教育関係者、ずる賢い人たちが、何もなかったように戦後の混乱ををうまく立ち振る舞った(またするのだろうか?)。
一般国民にとっては、焼け跡の中、たいていは、「一から出直し」であったはずだ。
こうした背景の中で、旧憲法のから新憲法への継承の不当性を云々する姿は、「木を見て森を見ず」ではないのだろうか。
新しい歴史観なり、憲法無効説を主張する人たちに、私は、人としての健全な想像力、歴史を見る感性を疑う。
私は、憲法の正当性については、通説の宮沢説に従う。(8月革命論)。
日本の兵隊たちが、中国ではなく、中国の兵隊たちが、日本の平和な村に闖入するすがたを、想像してほしい。
ある日、多くの中国の兵隊が、日本にいる君の村に突然現れる恐怖、
その光景は、村童の君のまぶたに一生定着する。
その外国の兵隊たちが、村の「大和なでしこ」を探し回るかは、あえて書かない。
その軍隊の進駐が、「国際法上合法であった」と中国政府から事後弁解、中国人学者が「やむを得ないものであった」との歴史観を述べても、
それを体験した君が納得するものとは到底思われない。
前述したように、渡部、竹村氏は語学の先生である。
彼らの得意の語学を利用して、彼らの歴史観を、世界に喧伝しようとしない、不思議なことである。