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(回答先: 現代に大日本帝国憲法を復活させようとする渡部昇一氏らの野望 投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 4 月 20 日 08:24:56)
ダイナモさん、こんにちは。
>大日本帝国憲法を復活させたいという野望がまずあり、それを実現するために、渡部昇一氏らが「帝国憲法13条」を持ち出して、現憲法=条約論を発明した、というのが実相でしょう。
私もその通りだと考えていますし、とうとうinosisi80氏の正体が露呈したとの感慨を深くしています。氏のHPにアクセスしてみれば、そのことは一目瞭然なのですが、とりあえず彼らにとっては自身の主張の宣伝を果たし得たということになるのでしょう。と同時に、【inosisi80氏の改憲阻止の本音とは?】http://www.asyura2.com/07/kenpo1/msg/285.htmlでも指摘しましたが、「帝国憲法」が復活するための土台は遺しておかなければならず、それには現行憲法の改正を阻止しなければならないと云った自己矛盾を彼らが抱えていることが判明しても来ました。何れにしても、今回何点かの事柄が明らかになったことは、これから憲法問題を考察していく上での基本的な視点を与えてくれたと感じています。
争点を少し整理してみますと、日本国憲法の制定過程に絡む問題として、帝国憲法の継続を主張する一派の見解では日本国憲法が講和条約の構成要件でしかないとの理由で無効とするものです。しかし、彼らは殊更制定過程における瑕疵を抽出することによって強弁を繰り返しつつ、しかも講和大権なるものを楯にして最も重要なことを覆い隠そうとしています。それは、主権の変更に関する昭和天皇の上諭の存在であり、考察者k氏が指摘されてもいますように、当時の帝国憲法下では何らかの天皇による決意(表明)がなされない限り内閣府も帝国議会も改憲に向けて動くなど到底不可能であったことは明らかでしょう。
結果的に帝国議会によって「帝国憲法の改正=日本国憲法の制定」が決議されたことからも、講和大権ではなく改憲(命令)そのものが発動したと観る方が妥当だと考えます。ただし、私は、明治維新後の僅か50余年の短期間のうちに、500年以上の空白期間の後に再び歴史上に担ぎ出された天皇と国民との間に親密で融和的な関係が形成されたとは考えていませんので、天皇の上諭について考察者k氏のように国民のことを考慮した英断だとする見解をとってはいません。とかく昭和天皇は三島由紀夫等の右派には高く評価されていませんが、それは政治的には無条件降伏に近いものと目される主権の放棄を天皇自らが受容したことに原因があると思っています。
私は天皇主権から国民主権への変更が現行憲法によって認定されたことからも、実質的に政体の変革がなされたものと見做しています。しかし、主体と客体が不明瞭なる権力の移行は世界の政治史的にみれば数少ない事例だと想われますし、何故それが日本の政治に起きたのかを明らかにすることは、過去の事例の検索を含めて私達日本人が追究すべきテーマであると考えています。
また、会いましょう。